Movie「愛、アムール」――生への哀しくも美しい“はじまり”
なんとも峻厳な美しい余韻をもった作品だ。’老い’と’死’の現実を峻厳なまでに見つめ、老いた夫婦’愛’を尊厳をもって描いていく。二人が’愛’を失わずに生きようとする決意は、哀しい’はじまり’なのだろうか。
パリの趣のあるアパルトマンで老後を暮らすジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)とアン(エマニュエル・リヴァ)。ともに音楽家の夫婦は、アンの教え子ピアニストのアレクサンドル・タロー(本人役)のコンサートに赴き、充実した人生に満ち足りたときを過ごす。
翌日、朝食をとりながらアンに異変が見られた。突然、動きが止まってしまう症状は、病からのものと診断され手術を受けることになった。だが、施術後も思わしくなく、アンの強い要望を受けて車いすでの自宅療養生活をジョルジュは決意する。
身体は不自由でも、個人として誇りをもって生きることを貫こうとするアン。ジョルジュはそれを受け入れ、支えながら、二人の暮らしには穏やかな時が流れていく。
だが、アンの病状は確実に悪化している。不自由さと思い通りならない苛立ちに「もう終わりにしたい」と苦悩の言葉を漏らすアン。看護師や介護士の対応もぞんざいになり、プライドを傷つけられたジョルジュは彼らを解雇し、階下の管理人夫妻も遠ざけて、アンを人目に触れないようにする。両親の互いの愛情と生き方を尊重してきた娘エヴァ(イザベル・ユペール)も様子がおかしいことに気づいて訪ねてきたが、ジョルジュは娘にさえアンを会わせない。
アンはベットに寝たきりになり、カーテンを閉め切った部屋で懐かしい出来事と日々を話しながら介護するジョルジュとの二人の暮らしが続いていく。
ハネケ監督は、徐々に物語を追うのではなく、冒頭に結末の出来事を明らかにし、振り返る形で、夫婦で’愛’を失わずに人生を過ごすことの重みを深く問い掛けてくる。ジョルジュの行為は、選択なのか、アンとの’愛’の持続なのか。
生あるものの終焉は、神の主権のうちにある。人間の権限を超えた行為は、罪という歪みや悲劇をもたらす。そのような認識にたっても、ハネケ監督の描いたジュルジュとアンが貫こうとした’生’は、「愛、アムール」のほか何ものでもない。’老い’がもたらす現実の苦しさ、切なさに、息をのみ観るのがつらくなる。それでも、ジュルジュとアンの会話、娘エヴァの介入さえ拒むジョルジュの決意、アパルトメントに舞い込んだ一羽のハトとジョルジュ。それらのシークエンスに込められたメッセージは、温もりのある余韻を想い起させてくれる。 【遠山清一】
監督:ミヒャエル・ハネケ 2012年/フランス=ドイツ=オーストリア/127分/映倫:G/原題:Amour 配給:ロングライド 2013年3月9日(土)よりBunkamuraル・シネマ、銀座テアトルシネマほか全国ロードショー
公式サイト:http://ai-movie.jp
2013年第85回米国アカデミー賞外国語映画賞受賞、第70回ゴールデン・グローブ賞外国映画賞受賞、2012年第65回カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)受賞作品。