Movie「セデック・バレ」――固有の文化を守ることに誇りと命を掛けて生きた史実秘話
先祖から言い伝えられてきた部族のアイデンティティを’文化的生活’教育の名のもとに否定され、隷属的な政策に甘んじることが出来なかった台湾の先住民族セデック族。1930年(昭和5)10月27日、自分たちの固有の文化と誇りを守るために最後まで生きようとして武装蜂起した(霧社事件)セデック族の精神と事件の顛末を丹念に描いた4時間半を超える超大作作品。(第1部「太陽旗」144分・第2部「虹の橋」132分)
1895年(明治28)、日清戦争に勝利して台湾割譲を獲得した日本帝国は、台北に台湾総督府を置き統治政策を推し進めた。台中州能高郡霧社の先住民の社(部落)にも、総督府の官憲が統治の手を伸ばしてきた。
セデック族ら先住民は、森を狩場に生きる狩猟民族で、同じ部族でも先祖からの猟場を守るためには互いに戦い、倒した敵の首を狩る獰猛な風習を持ってる。だがそれは、男として勇敢な戦士に成長するために必要なプロセスなのだ。勇士と認められた証しは、顔に彫られた刺青。マヘボ社の頭目の息子モーナ・ルダオ(青年期はダーチン)は、勇名をとどろかせ同族トンバラ社の勇士タイモ・ワリス (マー・ジーシアン)との確執を生む。しかし、日本の官憲に抵抗していたモーナだが、武力と兵力の前に屈せざるを得なった。
35年経ち、台湾総督府の同化政策は功を奏しつつあった。日本人と先住民女性との結婚も増えている。首狩りのような残酷な風習や顔の刺青などは禁じられており、師範学校を卒業して警察官になって社に戻ってきた青年もいる。だが、’生蕃(せいばん)’と蔑まれ、武器となる刀や銃は管理され狩りで生活することは出来ずに安い賃金で森の伐採に雇われしかない多くの若者たちは、セデック族としての誇りを保ちたくても、それが許されない。
そんな折、結婚式を祝いっている場を通りかかった日本人警察官とモーナ(壮年期はリン・チンタイ)の長男タダオ・モーナ(ティエン・ジュン)がひと騒動起こし、その警察官を叩きのめしてしまう。怒りが収まらない警官は、上層部に報告し厳罰を求めようとする。
この出来事をきっかけに戦おうと主張する若者たち。モーナは、それを受けて負け戦になることを承知の上で、命を懸けて先祖からの誇りと尊厳を守るため決起し’セデック・バレ(真の人)’になろうと決意した。そして若者たちに宣言する「セッデクの男たちよ!敵の首を狩れ。魂を血で洗い清め、虹を渡って、(先祖たちがいる)永遠の狩場へ行こう!」と。
霧社事件では、セデック族の6社300人の若者たちが武装蜂起し、小学校で行われた連合運動会に集まった人たちを襲い警察官や女性や子どもも区別なく日本人ばかりおよそ140人が殺害された。
日本統治時代後期最大の武装蜂起事件を取り上げたウェイ・ダーション監督は、「太陽(日章旗)と虹(この世の狩場と先祖たちが住む永遠の狩場の間に架かる橋)をそれぞれ信仰する者たちの戦い」という視点で描いていく。
掃討部隊を指揮する鎌田少将(河原さぶ)や先住民に理解を示し友好な関係づくりに務めていた小島源治警察官(安藤政信)、日本人と結婚したセデック族の高山初子(ビビアン・スー)などプロの役者の出演は少ない。モーナ・ルダオの青年期を演じたダーチンは、タイヤル族出身で映画初出演だし、壮年期役のリン・チンタイはセデック族出身の教会牧師でやはり映画初出演。そのほか、セデック族の出演者は先住民出身者たちだ。そこには、内側から湧き出るたしかな先住民族の尊厳と誇りが、作品に一貫して醸し出されている。
固有の文化と信仰を蔑むことなく、同じ社会で共生していく知恵は、グローバル社会のいまでも重く問いかけられている課題だ。 【遠山清一】
監督:ウェイ・ダーション 2011年/台湾/第1部「太陽旗」144分・第2部「虹の橋」132分/映倫:R15+/英題:Seediq Bale(「真の人」の意) 配給:太秦 2013年4月20日(土)より渋谷ユーロスペース、吉祥寺バウシアターほか全国順次公開。
公式サイト:http://www.u-picc.com/seediqbale/
2011年第48回台湾金馬奨 最優秀作品賞・最優秀助演男優賞・最優秀オリジナル音楽・最優秀音響効・観客投票賞・最優秀台湾映画人賞を受賞、第83回米国アカデミー賞外国映画賞台湾代表作品。2012年第7回大阪アジアン映画祭観客賞。