映画「北朝鮮強制収容所に生まれて」――死の恐怖に支配された“区域”からの脱出者
昨年(2013)12月12日に北朝鮮最高指導者・キム・ジョンウン(金正恩)の伯父で後見人として権力の中枢にいたチャン・ソンテク(張成沢)が、「国家転覆陰謀行為」により死刑判決を受け即日処刑された出来事は、北朝鮮の権力闘争の凄まじさを改めて見せつけられた。だが、北朝鮮の政治の世界だけでなく、監視と密告のうごめく疑心暗鬼と死の恐怖によって日々支配されている場所が現実に存在していることを、このドキュメントは証言している。
首都平壌の北80Kmに位置する’完全統制区域’の价川14号管理所。’完全統制区域’とは、釈放されることのない終身刑に処せられた政治犯らの強制収容所。价川14号管理所は500平方Kmの閉鎖区域で、4万人ほどが収容されさまざまな重労働を科せられていた。
この14号管理所で生まれ育ったシン・ドンヒョク(申東赫)さんは、’完全統制区域’を脱走し、中国を経て脱北できた唯一の証言者だ。両親は共に政治犯で、労働態度の良さを認められて’表彰結婚’(管理者が相手を決めて結婚させる報奨制度)によってシンさんは1982年に生まれた。
だが、囚人の子は生まれながらの囚人として一生両親の罪を背負わされ、死ぬまで強制労働を科せられる。6歳になると小学校に入学するが、重労働に科せられる。’表彰結婚’の囚人夫婦は同じ宿舎には住めないが、母子は幼児期まで一緒に過ごせる。それも10歳になって高等中学校に入ると子どもは寄宿舎に写される。
ほとんど毎日トウモロコシと白菜汁の食事で、1日のカロリー摂取量は700カロリー程度しか与えられない。シンさんにとって最も辛かったことは、いつも空腹だったこと。国家保衛部の先生や警備員に殴られることよりも、罰として食事を1食抜かれる方が恐ろしかったという。
幼いころ(4歳ぐらい)の記憶は、公開処刑で銃殺の射撃音が大きかったこと。規則は厳しくて、保衛部の先生の許可なしに別の区域に入っただけで’即射殺’。規則を破ると’即射殺’だ。
シンさんの証言がほとんどだが、マルク・ヴィーゼ監督は脱北した14号管理所の所長と元秘密警察の高官の二人にもインタビュー取材している。彼らは拷問、処刑することに何ら呵責の念を抱かなかったという。’完全統制区域’の囚人は、国家に反逆する者たちであり、人間以下の存在だった。所長は語る。「ここ(強制収容所)で人生を終わってもいいと考える人間は、誰一人いない。誰もが生き延びようと考える。生き延びるためには何でもする。収容所は死の恐怖で支配する」。
生まれながらの囚人として育ち、最小限の教育で強制労働させられてきたシンさんは、’愛する”優しい”微笑ましい”平和”くやしい”悲観する’といった喜怒哀楽を表す言葉を知らなかったという。それは、元所長と元秘密警察の高官の二人も同様なのだろう。彼らも、自由に物事を考え自由に選択し行動する喜びや愛情の表わし方を享受できない国家教育の中で生きていた。このドキュメントの素晴らしさは、糾弾と裁きではなく人間の心を見つめ、抑圧されてきた生き方に愛情と光を注ごうとしている真摯さにある。
シンさんは、いまは人権団体Linkなどに協力し、’完全統制区域’の実態を国際会議などで証言し、世界が北朝鮮に対して人権のための有効な対策と行動を起こすよう願っている。一方で、シンさんは「収容所では、自殺者は少なかった。誰もが服従してでも生き延びようとする。自由はなかったが心があった。韓国は、金が支配してる。金がないと何もできない。自殺者も多い。北朝鮮に人たちの心は純粋だと思う」という。自由主義経済の社会も大きな格差を生んでいる。’自由”愛する’という言葉を知ったシンさんが、その言葉のとおしに生きようとする時に感じられた’心の純粋さ’は、日本や欧米の人たちにも向けられているのだろう。 【遠山清一】
監督:マルク・ヴィーゼ 2012年/ドイツ/106分/HD/カラー/1:1.85/英題:Camp 14-Total Control Zone 配給:パンドラ 2014年3月1日(土)より渋谷ユーロスペースにてロードショー、以下、大阪・名古屋ほか全国順次公開。
公式サイト:http://www.u-picc.com/umarete/
Facebook:https://www.facebook.com/kitaniumarete/
2012年ジュネーヴ人権映画祭最優秀作品賞、オスロ・ヨーロッパドキュメンタリー最優秀映画賞、ブカレスト最優秀政治映画賞、ヒューマンライツウォッチ・ネストル・アルメンドロス賞、Movies that Matter ゴールデンバタフライ賞/学生観客賞受賞作品。