映画:「ふたつの祖国、ひとつの愛~イ・ジュンソプの妻~」――激動の日韓関係を生きた一途な夫婦愛

朝鮮戦争のとき元山から済州島に避難したときの貸間が、現在も記念館として保存されている。久しぶりに訪れた方子は、しばし感慨深くイ・ジュンソプの写真を見つめる。 © 2013 天空/アジア映画社/太秦

韓国では’国民的画家’と評されている李仲燮(イ・ジュンソプ、1916―56年、享年39歳)という西洋画家をご存じだろうか。晩年、ニューヨーク近代美術館にアジアの芸術家として初めて彼の作品が所蔵された。日本でも2004年5月にテレビ東京が、番組「美の巨人たち」で彼の代表作「黄牛」を放送した。そのジュンソプが、日本に留学していた時に出会い、結婚した山本方子(やまもと・まさこ)との夫婦の足跡をたどりながら、動乱の日韓近現代史をも浮き彫りにしていく秀逸なドキュメンタリー作品。

ジュンソプは、1936年(昭和11)に東京の帝国美術大学(現・武蔵野美術大学)に入学し、翌年に御茶ノ水の文化学院美術部へ転校した。のちに妻となる方子は、洋画とフランス語を学ぶため39年に入学し、2人は出会った。
方子の両親はクリスチャンで、父親は三井財閥企業の役員だった。それゆえか、ジュンソプが朝鮮人であっても結婚に反対はしなかったが、画家であることから生活面については心配していたという。だが、ソウルでの展覧会に出品するため帰国したジュンソプが、激しくなる戦争のため日本に戻れなくなる。方子は、45年に単身、朝鮮へ渡り元山(ウォンサン)で2人は結婚した。終戦の3か月前のことだ。
最初に授かった子は短命だったが、2人の男の子たちの親になり、これからというときに朝鮮戦争が起こる。迫る戦火に、家族は避難民となって元山から釜山、そして51年に済州島の西帰浦へと逃れ、そこで11か月避難生活をおくる。とても西洋画が売れる状況ではなかった。ジュンソプは、方子と子どもたちが栄養不良に陥ったのを心配し、3人を無理やり日本行の船に乗せて帰国させた。短期間のつもりが…。

朝鮮戦争後、日韓に国交がなかった時代。ジュンソプは、方子の母親の尽力で1度だけ乗船員の資格でごく短期間来日できた。当時の乗船員資格証の写真。 © 2013 天空/アジア映画社/太秦

激動する時代を生き、ふたつの祖国に別れた夫婦。ジュンソプは、手紙の書き出しでいつも「わたしの大切な大切なあなたへ」「いつも君だけを心いっぱい」 と方子に呼びかける。元山で結婚したとき、ジュンソプは方子に李南徳(イ・ナムドク)の韓国名をおくっている。韓国と日本とに離ればれになった2人の絆を、200通にも及ぶ手紙が堅く取り持っていた。
92歳になった方子は、「いろいろあったが、あの頃は苦労とは思わなかった」と、主なる神に導かれていた平安(シャローム)という心の糸の響きを奏でるように語る。酒井監督は、その心情を、音もなく静かに見つめさせる。数々のジュンソプの作品と、2人の往復書簡のシンプルな言葉を紡ぎながら夫婦愛の絆がしっかと撚り合されていく。家族4人が暮らした済州島の静かな海や思い出の風景と思い出を描いた絵画。それらの映像が、静謐なまでに美しい。 【遠山清一】

監督:酒井充子 2014年/日本/80分/ドキュメンタリー/英題:Two Home Iands,One Love -Lee Joong-seop’s wife 配給:太秦 2014年12月13日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次ロードショー。
公式サイト:http://u-picc.com/Joongseopswife
Facebook:https://www.facebook.com/Joongseopswife