映画「幸福なラザロ」--シャローム(主の平安)に生きる青年ラザロの幸福
自己願望の実現や損得勘定の価値観からすれば、およそ本作の主人公ラザロの生き方は幸せなのだろうかと考えさせられるかもしれない。他人から何か頼まれれば素直に手助けする。仲間外れにされていても恨むことも嫉むこともしない。疑うことも怒ることも、欲しがることもなく、ただ傍に居て優しいまなざしで見つめている青年ラザロ。だが、ラザロの幸福そうな表情と生き方に触れると、鑑賞後に幸福感が心を包み込んでいることに気づかされる物語だ。
崖から墜ちた30年後に
よみがえったラザロ
物語は、大洪水の跡で深い渓谷に囲まれ近隣から孤立しているイタリアの小さな村を舞台に始まる。丘の上の館に住む領主マルケッサ・アルフォンシーナ・デ・ルーナ公爵夫人(ニコレッタ・ブラスキ)は、数年前に小作人使役を禁じる法律改正が成立していることを深い渓谷に囲まれ地理的に陸の孤島情況に在るインヴィオラ―タ村の住人たちに隠ぺいしたまま小作人としてタバコ農園で働かせ賃金を搾取し続けていた。この村で育った孤児のラザロ(アドリアーノ・タルディオーロ)は、他人から頼まれたことは嫌な顔一つしないで何でも手伝人のいい青年。だが、ラザロの人の良さを軽んじていた村人たちは、仕事や年寄りの世話などどんなことでもラザロに押し付けていた。
ある日、公爵夫人と息子タンクレディ(ルカ・チコヴァーニ)が、農園の監督官二コラ(ナタリーノ・パラッソ)や彼の娘テレーザらを伴って村にやって来た。暇に任せてタンクレディはラザロに散歩の案内をさせる。ラザロが村から離れた所に秘密の住処に案内されたタンクレディは、その住処に身を隠して公爵夫人から身代金をせしめる狂言誘拐を思いつく。タンクレディから“兄弟の象徴”として手作りのY字型パチンコを譲られて大切にしているラザロは狂言誘拐の手紙を公爵夫人に届けるが、公爵夫人はタンクレレディの狂言と見透かしていて無視していた。タンクレディに食糧を運んでいたラザロは、突然の高熱に臥せっいていたが、なんとか届けようとして途中崖から墜ちてしまう。横たわるラザロをオオカミが匂いを嗅ぎに来るが、死んでいるのかそのまま去っていく…。
ラザロが息を吹き返したとき、すでに30年の歳月が経っていた。その間にタンクレディの狂言誘拐事件がもとで公爵夫人の労働搾取が警察沙汰の大事件になり公爵家は没落していた。村人たちも都会へ解放された。ラザロは廃屋と化した公爵家の館へ行ってみると、ウルティモ(セルジ・ロペス)たちが調度品や家具を持ち去ろうとしていた。ラザロは昔のままの青年だったが、ウルティモはラザロに全く気付かない。だが、ウルティモの盗品を売っているアントニア(アルバ・ロルヴァケル)には、昔と変わらないラザロの姿を見て「私たちは聖人にお会いしている」とひざまずく…。
他人を信じること
の尊さを伝えたい
前半の物語は、アリーチェ・ロルヴァケル監督が物語を書いているときにイタリア中部で実際に起こった事件をなぞっている。「歴史的な転換期に乗り遅れてしまったこの農民たちの物語に、私はずっと心を動かされてきました。彼らはずっと改革の知らせを知る術すら持たず、最終的には華々しい変化の残り香を拾い嗅ぐことしかできなかったのです。」と語っているロルヴァケル監督。村から解放された農民たちは、都会での暮らしと文化によって失ったものはなかったのだろうか。本作を観て考えさせられる一つの出来事のようにも思われる。
新約聖書ヨハネ福音書11章のラザロのよみがえりの物語が、ストーリー展開を読み解くのに重要な意味を与えている。ロルヴァケル監督はこの物語で「この世でいきていく上で、誰のことも疎まず、人を信じ切ることの尊さ」を伝えたいと語っている。キリストにある平安“シャローム”に生きるラザロの姿が、ラザロの幸福を観る者に伝わってくる。【遠山清一】
監督:アリーチェ・ロルヴァケル 2018年/イタリア=スイス=フランス=ドイツ/イタリア語/127分/原題:Lazzaro felice 配給:キノフィルムズ 2019年4月19日(金)よりBunkamuraル・シネマほか全国ロードショー。
公式サイト http://lazzaro.jp
Facebook https://www.facebook.com/kinofilms.kinofilms
*AWARD*
2018年:第71回 カンヌ国際映画祭脚本賞受賞。