支援・伝道協力で次世代育つ 連載 石巻の“新しいこと” ~2~
写真=教会復興キャラバンのようす。左端が愛一郎さん。写真提供=愛一郎さん
前回に続き、石巻キリスト教会を中心に震災後の基督兄弟団の動きをたどる。【高橋良知】
前回まで
☆「同じ痛み」で愛に動く 連載 石巻の“新しいこと” ~1~
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石巻市から太平洋に突き出すのが牡鹿(おしか)半島、東北の日本海側に伸びているのが男鹿(おが)半島だ。距離は直線で200キロ近くある。
男鹿半島付け根の秋田市も2011年東日本大震災の影響で停電などに見舞われた。
当時、兄弟団・秋田ベテル教会牧師だった中田元さん(現・仙台教会牧師)が教団からの応援を受けて石巻に行ったのは3月末の週だった。
電気工事士の資格をもっていたので、石巻キリスト教会会堂の配線を直した。沿岸の家屋なども支援した。「広島福音自由教会の北野献慈牧師らやブラジル宣教師らが駆けつけ、数日間できれいになった」。その後も炊き出し、説教支援などをしていった。
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夏には大量のボランティアが来ることが予想され、サポートのため、長内愛一郎さん(東京新生教会牧師)が7~9月に常駐スタッフとして石巻に赴任した。東京教区青年伝道委員会責任者でもあったので、同委員会主催で「教会復興キャラバン」を企画し、青年を中心とした支援者たちを迎えた。
もともと少人数だった石巻キリスト教会だが、支援活動と牧会ケアに関して揺れていた。5月には同教会の活動継続を支えるとともに、超教派の拠点を形成する「石巻クリスチャンセンター」(ICC)が5団体で発足した。
このような展開の中で、同教会の先行きを不安視する信徒らもおり、長内さんは11月から翌年3月まで、副牧師として、毎週東京から通い、牧会ケアにあたった。説教については中田牧師など兄弟団の牧師や日本ホーリネス教団の牧師らに協力してもらった。
それでも3月には、「燃え尽きに近い症状になった。特定の人に負担がかかる難しさがあった。震災支援の様々な負の課題のリアリティーにも直面した」と振り返る。
4月以降は中田牧師が、仙台を拠点に秋田、石巻、と3教会を兼牧した。仙台市から石巻まで行くのに片道1時間かかる。こちらもハードな働きになった。「目が回るほど忙しかった。身体が三つほしかった」と話す。
オンライン会議システムなども利用して礼拝をしたが定期的な訪問もした。それらに加え、被災地支援ボランティアが毎週のように入り対応した。「ただ、被災者の方々を見ると疲れたと言えなかった」と話す。
13年2月には、ICCの借家に移り、鹿児島で奉仕していた長内慶満さんが副牧師に就任し、石巻の働きを委ねていった。5月には旧会堂を取り壊した。
写真=石巻キリスト教会で礼拝奉仕
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教会復興キャラバンはコロナ禍前まで毎年継続した。同キャラバンは被災した教会に「キャラバン伝道チームを派遣し、主にある交わりを通して復興に向けて伝道を励ます」ことを目的とした。単にボランティアに終わらず、キリストの愛を動機とした活動を心掛けた。毎回テーマを決め準備し、土日を中心に石巻と福島県いわき市の四倉教会に派遣した。地域支援とともに、日曜礼拝、愛餐会で奉仕した。
石巻の支援では隣町の女川町の仮設住宅での傾聴、子ども集会が継続した。コロナ禍で訪問できなかった2年間は、日用品やメッセージカードを慶満さんを通して手渡した。愛一郎さんは「被災地が忘れられるということに、みな不安がある。『私たちは忘れていない』というメッセージが大切になる」と語った。
「支援活動を通して、教会とは何か問われた。教会とは本当にイエスの福音を語り、証しし、愛に生きることが大事。震災の時だけではなく、継続してかかわっていきたい」と述べた。
キャラバンでは企画、コーディネート、運転、説教まで担った。最後は焼肉で青年たちの労をねぎらう。キャラバンに参加する意義についてこう語った。
「参加者には、必ず何かしらの奉仕を担当し、その奉仕に責任をもってもらう。ふだんの教会とは違う『アウェイ』の場という緊張の中で、より祈らされ、奉仕が整えられる。第一に被災地とその地の教会を励ますための働きだが、参加者も励まされる。異なる賜物をもった人が一つの目的を持ち、宣教協力する。参加者が次の世代の奉仕者となります」(つづく)
(クリスチャン新聞web版掲載記事)