「ありえない」は起こりうる

碓井 真史 新潟青陵大学大学院教授/心理学者

「ありえない」。そう思うようなことが、それでも起きてしまうことがある。たとえば、保育園の送迎バスに子どもが取り残され、亡くなってしまう。ときには、我が子を車から降ろし忘れる事故も起きる。そんなありえないことが起きてしまったのは、保育士や親が子どもを愛さず、命を軽視していたに違いない。人々はそう感じて、当事者を激しく責める。しかし、人はどんなに大切なことでも忘れることがある。どんなに有能な人でも、ミスを犯すことはあるのだ。
調査によれば、事故の6割から8割はヒューマンエラーが原因だ。飛行機事故でも、たとえば着陸時に車輪を出し忘れる事故もある。高度な訓練を受け、何百人もの命を預かる人が、一つのスイッチのミスで大事故を起こすことがある。

人間が犯す誤りは、うっかりミスだけではない。意図的なルール違反もある。規則を厳しくし、分厚いマニュアルを作り、多くのチェック項目を作っても、人はマニュアルを読まなくなり、チェックも形だけになり、事故が起きる。その人なりに、規則を破る理由が生まれるのだ。

事件・事故の当事者が特別なのではない

事故ではなく事件も、ありえないことが起きる。ママ友の言葉に従い、我が子を餓死させてしまう親もいる。最も信頼していた仕事仲間が、金を持ち逃げすることも起きる。みんなから尊敬されていた「先生」が、とんでもない性加害を犯すこともある。この場所で、このタイミングで、こんなひどいことをするなんて、その大胆さをにわかには信じられないこともあるほどだ。
大切なのは、被害者保護と、同様の悲劇の防止だ。大失敗する人、大きな罪を犯す人、そしてその被害者も、必ずしも特別な人ではない。ありえないと感じる事故や事件は、私の身にも起こりうる。しかし、滅多に起きないことを予防することは難しい。経験の少ない若者は、小さいことでも慌てふためく。経験豊富な中高年は、大丈夫だと落ち着かせる。ほとんどの場合は、ベテランの判断が正しい。ところが、この落ち着いた判断によって、大事故大事件の前兆が見逃されることがある。豊富な経験が、判断をゆがませることもあるのだ。

あの熱心な教会がカルト化するなどありえない。あの素晴らしいクリスチャンが悪事を働くことなどありえない。私もそう信じたい。だが、現実は違う。ありえないと思う油断によって、犯罪が誘発されることもある。ありえないと考えることで、被害者保護が遅れることもある。

互いに疑い監視するのを勧めてはいない。一方の言い分だけを信じてもいけない。それでも、被害を防ぐ努力をしたい。会計監査をつけるのは、会計担当者を疑うからではない。自動車の後部座席でもシートベルトをするのは、ドライバーを信じていないわけではないのだ。

クリスチャン新聞web版掲載記事)