新連載 三重で出会える宣教協力1 教会文化を吟味せねば 福音は日本で異質のまま
10月に行われた「宣教フォーラムMIE2024」は、日本の教会の覚醒を目標に掲げた。20 30年に教会数が半減との予測や、第七回日本伝道会議で提唱・宣言された「立場・教派・地域・文化の壁を超えた宣教協力」を踏まえ、牧師・信徒の協働や具体的な方策が論じられた。連載で内容を伝える(大会概要、全体集会①は既報)。今回は全体集会②での大田裕作さん(三重県出身、アンテオケ宣教会総主事、元インドネシア宣教師)の講演。
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インド北東部のボージュプリー民族に宣教しているビクター・ジョンを訪ねた経験から話した。彼らの生活文化と習慣に基づく、全く独自の礼拝スタイルを見て、「西洋キリスト教文化が〝脱色〟されている」と観察。これは日本宣教の焦点でもあるとした。
「人々が福音を受け入れないのは、それが間違っていると思うからではなく、自分の生活にしっくりこないと感じるから」(ジョン・ストット)、「異教徒の改心の障害は、神学的、教理的理由でなく社会的理由による」(ドナルド・マクギャブラン)といった神学者、宣教学者らの見解を引用。日本の教会が「敷居が高い」と言われる要因と重ねた。
「クリスチャンになる=日本人をやめる」という現実
「日本宣教は、福音の根幹ではない部分において、西洋のキリスト教のあり方を押し付けることによって、日本人のままではクリスチャンになれないという教会を作ってしまった。日本人をやめないとクリスチャンになれない。日本人の付き合いと関わり、因習の中で生きてきたのを断ち切らないといけない。それが美学で、献身的なクリスチャンだ、と教えられてきた」
「私たちが先輩や宣教師から伝えられてきた教会文化を吟味しないと、福音は日本にとって異質のまま。『どこか違う』と思われてしまう。クリスチャンになれた私たちは、もともと西洋文化に対して抵抗がなく、『どこか違う』ことを乗り越えられてきた『どこか違うグループ』だったのだ」
西洋のキリスト教文化圏の個人主義傾向と、アジアの集団主義傾向を比較。都市部、地方、在外邦人、帰国者など、共同体の特性も比較。「日本人を〝一本釣り〟するというのは、民族的特質に逆らっている、、、、、
(2024年11月10日号 07面掲載記事)