明治学院元学院長で同大学経済学部名誉教授の中山弘正(なかやま・ひろまさ)氏が、1月14日、肺炎のため、横浜市の病院で亡くなった。86歳だった。1月23日に前夜式、24日に告別式を家族・関係者で執り行った。喪主は長男の能力(ちから)氏。司式は原浩一郎氏(日本長老教会山の上教会牧師)。

1938年5月1日長崎生まれ。戦争中は島根に疎開し、東京で育った。東京大学経済学部、同大学院で学び、74年に経済学博士。法政大学を経て、68年に明治学院大学専任講師、76年から経済学部教授、92年に同大学キリスト教研究所長、94年から98年まで同学院学院長を務め、2007年の定年まで経済学部教授を務めた。

90年の天皇代替わりの大嘗祭直前には、有志で“即位の礼とは何か”を開催し、学生と語り合うことを表明。戦後50年となる95年には、学院全体で「心に刻む:敗戦50年・明治学院の自己検証」として一斉講義やフォーラムなどの実施を主導し、戦争責任告白を発表した。靖国神社国営化反対福音主義キリスト者の集いの実行委員なども務め、戦争責任や信教の自由について講演活動もしていた。

教会は、山の上教会をへて日本基督教団上倉田教会に所属し、晩年は単立港南台キリスト教会の礼拝に出席。著書にソ連、ロシア経済についての論考のほか、『現代の世界経済』(岩波書店)、『学院の鐘はひびきて : ある戦後史』(ヨルダン社)など多数。

葬儀あいさつ文で妻の直子氏は、弘正氏が、法政大学の学生、明治学院のヘボン聖書研究会やゼミの学生を「宝」としていた姿、『資本論』から聖書へ、という信仰の足あとなどを語った。

親交のあった丸山忠孝氏(東京基督教大学元学長)は遺族に向けた追悼文でこう述べた。

「戦後日本における憲法・平和・信教の自由問題など多方面で責任ある関りを続けて来られた先生だけに、急な肺炎をもってのご召天には、思い残されることも多々あったことと思料しております。日本長老教会での交流、先生のご尊父中山定義氏の洗礼式およびご葬儀をめぐる関り、さらに先生の自分史『世界に平和を』や拙著『十字架と桜』の交換交流などを通して知り得た限りにおいて、一言で言えば先生は『主のつわもの』、『キリスト者武人』であられたと思います。聖書のイメージで言えば、ギデオンとなりましょうか。戦後の平和日本では、社会人として武人は高く評価されてこなかったことからして、むしろ時代に抵抗する、貴重な器であられたといえましょうか」

 

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