(C)2015「さようなら」製作委員会
日本の亡命してきたターニャ(右)と人造人間レオナ (C)2015「さようなら」製作委員会

劇団「青年団」主宰者の平田オリザとロボット研究家・石黒浩(大阪大学教授)が進める、人間とそっくりな人工生命体をもつ人造人間“アンドロイド”と人間が共演する演劇プロジェクトの記念碑的作品である同名戯曲を映画化。必ず死を迎える人間と太陽発電をエネルギーにいつまでも生存可能なアンドロイドとの交流をとおして“メメント・モリ”(死を記憶する)的な“生”を問いかける実験的な作品。アンドロイドと分かっていても、主人公の女性との存在感の親密さに、人間の存在性の根源というか意志の継承という永遠性をも問いかけられる。

日本の各地の原子力発電所が壊滅状態になり、本土は放射性物質に汚染された。5か月後、政府は本土を棄てる決断を宣言し、諸外国と連携し国民の計画的な避難体制を敷いた。

南アフリカのアパルトヘイト壊滅に際して両親とともに日本に亡命してきたターニャ(ブライアリー・ロング)。両親はすでに他界し、いまは山の中の一軒家にアンドロイドのレオナ(ジェミノイドF、声:井上三奈子)と暮らしている。病弱な少女だったターニャのために両親が買い与えたもので旧式、しかも足が故障したままのため車いすに乗せられたままレオナ。

町への買い出しはレオナが出かけていく。避難が進んでいるようで「人が少なくなった」と報告するレオナ。ターニャは外国人であるため、避難者番号の優先順位は遅いか、あるいは届かないだろうと考えている。そこに、離婚歴のある一人暮らしの女性・佐野(村田牧子)が、公民館へ避難者番号をいっしょに見に行こうと誘いに来た。だが、やはり今回の発表にも二人の避難者番号は見当たらなかった。

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敏志はターニャのプロポーズを受け入れたのだが… (C)2015「さようなら」製作委員会

しばらく実家に帰っていた恋人の敏志(新井浩文)が、ターニャの様子を見に訪ねて来た。久しぶりに散歩する二人。疲れたターニャをおんぶする敏志に、ターニャは「結婚したい」と自分の気持ちを告白する。敏志は、ターニャからの求婚を受けいれる。

佐野が、車を借りてきた。「別れた夫と息子がインドネシアへ明日避難するので、会いに行きたい。いっしょに付き合ってほしい」という。ぎくしゃくした母子の別れ。地域に残った少ない人たちで盆踊りが催された。だれかが櫓に火をつけた。燃え盛る炎を見つめていた佐野が炎のなかへ身を投じた…。家に帰ると、留守中に敏志が訪ねて来て「家族での避難が決まった。またどこかで会おう」とレオナに言づけて去った。

町に人はいなくなり、郵便局も閉鎖された。山の中の一軒家に暮らすターニャとレオナ。父親が好きだった竹林へ散歩し、家ではいつものようにレオナが詩を朗読する。谷川俊太郎の「とおく」、放射線に被ばくしているターニャは、ひどく衰弱していく…。

原発と被ばくからの避難、(人種)差別と亡命、難民を受け入れない姿勢の日本が全土を覆う放射能被災によって難民化するときの世界の対応、死を見つめての愛情と信頼関係などなど幾重にもテーマが織り込まれていて、視点を変えれば様々な見方を愉しめる作品。だが、メインテーマは、人間であるターニャとアンドロイドのレオナが、対話によって培っていく関係性の変化にある。ターニャの折々の心理を類推して谷川俊太郎やアルチュール・ランボ、若山牧水らの詩を朗読する。感情や美的感性は解せないが、ターニャの言動をデータとして蓄積し、どこまでもターニャへの忠誠さをもってよどみなく対応するアンドロイドのレオナ。文楽の木偶人形のようなかすかな表情の変化だが、ターニャ同様、レオナの対応に信頼感を強めていくほど生気を感じさせられる。そして、まるでターニャの意思を汲んだかのようならラストシークエンスでのレオナの行動。ターニャの死を見つめていたアンドロイドが、稼働にとどまらぬ存在性を学習した契機のようにも思えて印象的なシーンだ。 【遠山清一】

2015年/日本/112分/映倫:R15+/ 配給:ファントム・フィルム 2015年11月21日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー。
公式サイト http://sayonara-movie.com
Facebook https://www.facebook.com/sayonara.movie

*AWARD*
2015年第28回東京国際映画祭コンペティション部門出品作品。