映画「完全なるチェックメイト」--チェスの天才2人が“米ソ”の威信をかけて世紀の対戦
第2次世界大戦が終結した1945年からソビエト連邦が崩壊した’89年まで、アメリカを盟主とする資本主義・自由主義陣営とソビエトを盟主とする共産主義・社会主義陣営との冷戦構造が、政治・軍事にとどまらずスポーツ、文化のあらゆる領域で対局していた。チェスの世界王者決定戦では’48年にミハイル・ボトヴィニク以後’69年から在位4年連続のボリス・スパスキーまで24年間ソビエトの棋士が王座に着いていた。’72年アイルランのレイキャビックで行なわれた世界王者決定戦で、35歳のスパスキーに29歳のボビー・フィッシャーが挑戦。米ソの威信をかけた24局の戦いをとおして天才と謡われたフィッシャーの半生を描いている。
1972年夏。20年以上ソ連人同士のチャンピオン戦が続いたチェス世界選手権に、アメリカ人のボビー・フィッシャー(トビー・マグワイア)がチャレンジャーに勝ち上がったことから世界の注目を集めた。しかも初戦でチェンピオンのボリス・スパスキー(リーヴ・シュレイバー)に完敗したフイッシャーが、第2局戦を放棄して連敗すると、マスコミは日ごろから奇異な言動が目立つフイッシャーを一層煽り立てる。
遡って’50年代中ごろ。12歳のフイッシャーはニューヨークのチェスクラブに出入りし、大人たち相手に対戦しては打ち負かしていた。13歳で全米ジュニアチャンピオン、14歳でアメリカ選手権優勝、15歳で、史上最年少のグランドマスターへと昇り詰めるフイッシャー。そんな彼の唯一悩みは、共産党員の母親の男出入りと母親を監視するFBIの圧迫感に神経過敏に追い込まれること。
青年期のフイッシャーは、ブルガリアでの国際試合を突然放棄した。ソ連勢の選手たちが共謀してドロー試合を繰り返し、不正を行っていると激しく抗議したあげくマスコミの前で引退宣言。鬱屈したフイッシャーの前に弁護士を名乗るポール・マーシャル(マイケル・スタールバーグ)が近づきマネージメントを買って出た。再びチェスへの情熱と打倒ソ連に意欲燃やすフイッシャーは、チェスのチャンピオンだったビル・ロンバーディ神父(ピーター・サースガード)にセコンドを頼み込み、カルフォルニアでのソ連との親善試合に出場。「この町に冷戦がやって来た」とコメントし、大会を盛り上げるフイッシャー。だが、ソ連の選手団は国のサポートの手厚く、なかでも世界チャンピオンのスパスキーは護衛もついてのVIP待遇。フイッシャーは、自分を「リムジンで会場へ行かせろ」「売り上げの30%をよこせ」などを無理な要求をした挙句、スパスキーに惨敗する。
国際試合に復帰し、世界選手権を目指し決勝戦に臨んだフイッシャーだが、神経は極限状態にあった。ホテルの部屋は盗聴されていると疑い、受話器を解体して調べる。ソ連は陰謀を図っているとクレームをつけ、試合会場を人がいない地下室に移せと無理難題。要求が受け入れられなけば対戦しないと主張し第2局戦をボイコットする…。
’72年の決勝でフイッシャーは、“神の一手”といわれる一撃を打った緊迫感。60年代から70年代の何事につけヒートアップしていく米ソ対立の空気感と、チェスを打つことしか生きがいのないフイッシャーの狂気じみた言動と高慢な態度。過激なフイッシャーに対し紳士然としたスパスキーの冷静沈着さと内に燃える闘志。それらの緊張感が存分に伝わってくる演出は、チェスを知らなくともみごとに引き込まれていく。
重くなりがちな冷戦とチェスの対決のテーマを、この時代のロックミュージックをふんだんに挿入しエンターテイメント性を盛り上げている。スペンサー・デイヴィス・グループの“アイム・ア・マン”(1967年)は、後年シカゴがカヴァーをリリースしているのでご存知の方も多いでしょうし、ベンチャーズの“急がば廻れ”(1960年)、ジェファーソン・エアプレインの“ホワイト・ラビット”(1967年)、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(C.C.R)の“トラヴェリン・バンド”(1970年)など、シーンにマッチしてきちんと聴かせてくれる。たんなる掴みでの挿入ではないヒット曲たちにミュージックムーヴィーとしても愉しめる心憎い作品です。 【遠山清一】
監督:エドワード・ズウィック 2015年/アメリカ/115分/原題:Pawn Sacrifice 配給:ギャガ 2015年12月25日(金)よりTOHOシネマズシャンテほか全国順次公開。
公式サイト http://gaga.ne.jp/checkmate/
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