辛くて厳しい現実はしっかり見つめていても、励まし合い笑いながら前を向いて進む「飯館村の母ちゃん」榮子さん(左)と芳子さん (C)Mizue Furui 2016
辛くて厳しい現実はしっかり見つめていても、励まし合い笑いながら前を向いて進む「飯館村の母ちゃん」榮子さん(左)と芳子さん (C)Mizue Furui 2016

福島第一原発事故による全村避難から5年。仮設住宅での日々の暮らしが坦々と綴られている。放射能に汚染された故郷・飯館村にはいつ帰ることが出来るのか…。お先はまだ見えないけど東北の母ちゃん二人はへこたれない。「笑ってねぇど、やってらんねぇ」とばかり、自然を愛でる営みに日々生かされていることの笑顔に、見ているこちらの方が励まされる。

【あらすじ】
2013年、伊達東仮設住宅。飯館村佐須区から移ってきた菅野榮子(かんの・えいこ、79歳)さんと菅野芳子(78歳)さんは、親戚関係だが原発事故前も家は隣り同士だった。仮設住宅でも隣同士、毎朝声を掛け合い近くの神社へ散歩する仲良しの二人。

榮子さんは、いつも冗談を言い笑顔と笑い声が絶えない。闊達な榮子さんとは対照的に物静かな話し方の芳子さん。だが、二人のおしゃべりはテンポのいい漫才のように滑らかで楽しい。

榮子さんの信条は、自分で食べるものは自分で作ること。芳子さんと二人で、おしゃべりしながら畑を耕しては、トマトやキュウリ、ジャガイモ、ニンジンなどを作っては収穫し、食卓に並べる。美味しいのはもちろんだが「百姓は芸術家だよ」と笑いながら働くことにプライドを持っている。郷土伝統の食文化を絶やすまいと仮設住宅の人たちと飯館村「味噌の里親」プロジェクトを起ち上げ「さすのみそ」などを作っている。また、原発事故で作れなくなった郷土の保存食「凍み餅」を気候環境が似ている長野県小海町八峰村と交流し「凍み餅」づくりを進めることにも積極的だ。

(C)Mizue Furui 2016
(C)Mizue Furui 2016

2014年、避難生活3年目になった。避難指示解除準備区域なだけに帰村宣言が待ち遠しい。「もう飯館村には帰らんわ、と思っていたが里心がつきました」と笑う榮子さん。老後の楽しみだった息子夫婦と孫との暮らしだが、いま息子家族は新潟で生活している。孫の写真を見ながらひとりで食べる食事は、やはり寂しい。そんな折、芳子さんに胃がんが発見され、摘出手術することになった。だが、榮子さんはお見舞いに行く気持ちになかなかなれない…。

【みどころ・エピソード】
声高に原発問題に抗議している作品ではないが、避難させられ仮設住宅にとどめられている人たちの自然の恵みの中で暮らしたいとの心情、その日を待ち望む忍耐と頑張りが切々と伝わって来る。原発事故から5年、寂しさも苦しさも笑い飛ばして前を向いて歩もうとしている榮子さん、芳子さん、そして福島の人たちのことを忘れないでねと語り続けているドキュメンタリー作品だ。 【遠山清一】

監督:古居みずえ 2016年/日本/95分/HD/ドキュメンタリー/ 配給:映像グループ ローポジション 2016年5月7日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開。
公式サイト http://www.iitate-mother.com
Facebook https://www.facebook.com/飯館村の母ちゃんたち-526186234127322/