[CSD]2009年1月4・11日号《ヘッドライン》

[CSD]2009年1月4・11日号《ヘッドライン》
 = 1面 新年メッセージ=
★来て主のみわざを見よ 記・吉持 章

 = 2 面 ニュース=
★宗教者ら米国オバマ次期大統領に要請——支配にかえ多国間協力を
★原子力行政を対直す宗教者の会が懸念の声明——核武装化・原発震災の危険性を指摘
★宗教者九条の和:元幕僚長論文に緊急声明——文民統制の崩壊を懸念——
★<教会の実情を知る:ルポ>[38:最終回]社会の波が教会の中に入り込んでいる
★<落ち穂>お金の管理も神からの付託

 = 3 面 ニュース=
★日本ローザンヌ委員会が発足——2010年ケープタウンに参加者推薦へ
★バプ連盟:新潟で地域協働を推進——理事長に田口昭典氏が就任
★長老教会:ウェストミンスター信仰告白の現代の意義検討特別委を設置
◎映画「ふうけもん」公開中止に——東映 前売り券の払い戻しはない
★スウェーデン:国際気候サミットで宗教とのかかわりを論議
★<オピニオン>自己検証とベストフォーム 記・米内 宏明

 = 4 面 ビジネスパーソン=
★仕事に忙しく、家族の記憶がない生活送る——鬼無 律友さん[中](元コトデンそごう総務経理)
★<つながりのデザイン>[12]「環境問題の元凶はキリスト教」か? 記・小川 巧記

 = 5 面 PRのページ=
☆教会・伝道団体・企業・施設

 = 6—9 面 日本プロテスタント宣教150周年記念特集=
★先達の信仰継承を感謝と共に——戦争加担への悔い改めは不可欠 記・山口陽一
★1859年長崎・横浜に各3人の宣教師来航——海外新聞が伝えた「日本宣教の夜明け」
★<座談会>「日本の教会は一つ」の年に
 山北宣久氏・興石 勇氏・中島秀一氏・渡部 信氏
 峯野龍弘氏・大川宣道氏

 = 10 面 PRのページ=
☆教会・伝道団体・企業・施設・学校

 = 11 面 牧会/神学/社会=
★美濃ミッション事件と現代の危機[5]——「危機は今も学校から」根田祥一・本誌顧問講演から
★<精神障害と教会>[43]誉めること・叱ること?——存在肯定と事柄批判のバランス  記・向谷地 生良

 = 12 面 情報=
★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか
★MOVIE:「ザ・ムーン」月から地球を見た男たち(アスミック・エース配給、1月16日より全国公開)http://themoon.asmik-ace.co.jp/
★BOOK:『新聖書注解』シリーズ 5月復刊が決定(いのちのことば社、予約限定)詳しくはHPで http://www.wlpm.or.jp/
★RRVIEW:『人種の問題 アメリカ民主主義の危機と再生』コーネル・ウェスト著 評・栗林輝夫

 = 13 面 教会学校=
★歴史発見:日曜学校 発展と罪責——国策と共にあった初期教会教育
★歴史発見!資料編——古書展「キリスト教の伝来」、DVD「キリスト教教育の歩み」、書籍『教会教育の歩み』

 = 14 面 関西だより=
★賀川豊彦献身100年に学ぶ——記念事業神戸プロジェクト 市あげて始動
★大阪府下の教会一致を実感——2008大阪府民クリスマス
★生前葬で信仰に檄——津村友一・中川 榮1212会
★<逝去>門田道則氏(単立・キリストの光教会牧師、76歳)

 = 15 面 クリスチャンライフ=
★障害者・家族と地域のパイプ役——サーブ介護センター
★冬の風景——藤井智美さんの押し花作品
★<僕の子育てライフスタイル>[11]心のこもった贈り物 記・堀井洋二

 = 16 面 ひと=
◎「自分の人生が伝道になりたい」——岡本依子さん(テコンドー選手、シドニー五輪銅メダリスト)

==新年特別増大号 第2部==
 = 17面 人間ドキュメント=
◎アイヌの叙事詩を後世に——知里幸恵の生涯と進行

 = 18—23 面 特集/痛みの中に生きる人たち=
★子育て編:「子育ての悩み」に教会は——子育て中に聞いた「困ったこと」は?
★子育て編:ケース?「産むまで悩んだ」未婚の母
★子育て編:ケース?「孤独感」が不安を助長——出産後にひきこもりがちに
★子育て編:教会の取り組み——親子で「気軽に遊べる空間を」
★若者編:ケース?夢叶えるまでのステップのはずが
★若者編:ケース?転職、結婚を経て
★若者編:クリスチャンの取り組み——不十分な「承認」体験で育った苦しみ
★若者編:ひきこもりと教会の閉塞感
★団塊編:ケース?「信仰の喜び」を教会で感じられず…
★団塊編:ケース?「問題を誰にも言えない」という悩み
★団塊編:ケース?家族の課題が自己と向き合うきっかけに
★団塊編:団塊世代と教会の閉塞感

 = 24—25 面 特集/小さないのちを守る会=
★「この子を育てたい」——皆でいのちと向き合い…
★救霊の重いに燃やされ続け25年——会長・辻岡健象
★「個室化」時代に葬られるいのち——教会とともにいのち守る 代表・水谷 潔

 = 26 面 全面広告=
☆関西フランクリン・グラハム フェスティバル
2010年10月22日(金)~24日(日) 会場:大阪城ホール
Tel.06-4706-8002 Fax.06-4706-8102 E-mail office@fgraham-kansai.jp

 = 27—31 面 神学校特集=
★日本聖書神学校・今橋朗校長に聞く——献身者に必要なのは「召命感」と教会の理解
★ゴスペル音楽院 今春立川市へ移転——コンサートも可能、積極的活動に期待
★西南学院大学新チャペル竣工——神学部とともに建学100周年
★生駒市街を一望する関西聖書学院——将来も展望できる教育環境に
★神学生の抱負:苦しみ迷った青春——関西聖書神学校本科生・野 俊さん
★神学生の抱負:弱いときにこそ強い——中央聖書神学校本科生・平松 契さん

 = 32 面 教会=
★愛と慰めに満ちた共同体形成——伝道福音・鶴瀬恵みキリスト教会


◎映画「ふうけもん」公開中止に−−東映 前売り券の払い戻しはない=0901040304

 09年1月17日より、全国公開予定だった元祖「便利屋」の右近勝吉氏をモデルにした映画「ふうけもん」(栗山富夫監督)が公開中止となった。配給予定だった東映株式会社の説明によると、「製作側(株式会社J&Kインターナショナル= 金珍姫代表取締役)の事情により、作品の完成に至らなかったため」という。
 映画「ふうけもん」は、「釣りバカ日誌」シリーズの栗山監督による人情ドラマ。同作品には主人公役の中村雅俊はじめ、浅野ゆう子、中村玉緒、竹脇無我など 豪華キャストが出演している。撮影はすでに終了しており、最終仕上げ作業を残すのみとなっていた。
 配給会社としてのみ関与したという東映は、J&Kインターナショナルとの配給契約もすでに解消済みで、「前売り券の払い戻しなどには一切応じられない。前売り券をお持ちの方は直接、J&Kインターナショナル(L03・5785・ 4600)に問い合わせてほしい」と語る。
 同映画は、新聞、雑誌、テレビ、集会でのアピールなどによる金氏の熱心な呼びかけにより、多くのキリスト教関係者が後援。映画製作のため、多額の献金が献げられていた。
 金氏は「配給に必要な映画製作費調達のため最善を尽くしたが、資金不足で期日に間に合わなかった。皆様には大変ご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。一刻も早く公開日を迎えられるよう、最善を尽くします」と語る。

◎「自分の人生が伝道になりたい」−−岡本依子さん(テコンドー選手、シドニー五輪銅メダリスト)=090

[img align=left]http://jpnews.org/pc/uploads/img496d9d63d674a.jpg[/img] 韓国の国技、テコンドー。 テコンドーというスポーツを日本で有名にしたのはこの人岡本依子さんだ。2000年のシドニーオリンピック銅メダリストで、続くアテネ、北京と、オリンピック3大会連続出場を果たした、日本テコンドー界の功労者だ。北京以後「これからテコンドー道場を1000か所作りたい」と、新たな夢を掲げて前進し始めた。06年に韓国で信仰をもって以来、もっと神様のことを知りたいと、神学の学びにも積極的に取り組もうとしている。

 練習拠点にしていた韓国で、岡本さんはイエス・キリストと出会った。
 きっかけは2年前のクリスマス、テコンドーのコーチでクリスチャのイ・ジェイソンさんに誘われて、教会のクリスマス劇を見に行ったことから。初めて訪ねたブンダン市のビジョン・コミュニティー・チャーチ(イム・チャンピョ牧師)。190センチもある大男のコーチが一生懸命神様役を務めていた。笑いそうになったが、すぐに芝居に引き込まれた。
 初めて知ったキリストの生涯に感動した。
 「イエス様めっちゃいい人だ!」
 今度は涙が止まらなくなった。
 礼拝後にイム牧師に導かれた。「十字架の上で私のことを見てくれている」キリストを、理屈抜きで信じることができた。
 もととも宗教には興味があった。母に連れられて修験道の山に登ったこともある。宇宙的な神の存在は意識していたが、キリストは外国の神だと思っていた。
 でも、憧れはあった。「お祈りするっていいな」と、子どもの頃小さい手を組んで祈ったこともある。中学生の頃はシスターや尼僧のように、神に仕える姿に憧れた。精神的な世界にいつも心惹かれていた。
[img align=right]http://jpnews.org/pc/uploads/img496d9d7f1407a.jpg[/img] 関西の仏教系の進学校である四天王寺高校から、早稲田大学の人間科学部スポーツ科学科へ進んだ。中学生の頃から空手をしていた運動好きだ。
 「『道』がつく日本のスポーツが好きです。『道』がつかないのって蹴鞠くらい? 空手は心と体がひとつになる精神世界をもっているところに魅力がありました」
 将来の目標を決めたくて、アメリカのオレゴン大学に留学した。そこで出合ったのがテコンドーだ。「アイ・キャン・ドゥー・イット」の精神で、老若男女が生き生きと練習している姿に魅了された。
 「年齢なんか関係なく、できると思ったらできるんだというマスターのことばにすごく幸せな気持ちになりました」
 「アイ・キャン・ドゥー・イット」に励まされて世界チャンピオンを目指し、みるみるうちに世界3位にまで到達した。練習が大好きで、運動選手の生活そのものが好きだった。
 16年の選手生活から、今新しい目標を目指す。日本を拠点に千か所のテコンドー道場を開きたい。そこは、強い人が弱い人を助ける、みんなが幸せな気持ちになれる道場だ。「価値を生産性で考える世の中。年寄りや弱い人は無価値と考えてるような住みにくい社会です。若者や子どもだけではなく、いろんな人が夢を持てる世の中になれば…」
 テコンドー道場は、そんな岡本さんの夢を形にする場所となるはずだ。信仰はそのための揺るぎない礎になる。 「自分の人生が伝道になりたい」
 そう祈る岡本さんは、神学の勉強にも興味をもっている。09年からは大阪・門真市の自宅で礼拝も始める予定だ。「まずは一人でもやる。礼拝しよう!」そう決めた時から神様は助けてくれると確信している。「これまでもずっとそうだったのだ」と、信仰をもって分かった。
 「体育会系の行動派」を自認する才媛の新たな挑戦が始まった。
 岡本依子さんのブログは URL: http://myhome.cururu.jp/dreamtkds/blog

◎アイヌの叙事詩を後世に−−知里幸恵の生涯と信仰=0901041701

[img align=left]http://jpnews.org/pc/uploads/img4962c65535878.jpg[/img]2008年6月6日、衆参両議院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を採択した。町村信孝官房長官は政府の公式見解として「アイヌ民族は先住民族であるとの認識」を示す長官談話を発表した。これは政府が初めて「先住民族」の存在を認めた歴史的出来事として受け止められた。江戸時代から迫害と差別を受け、明治になると同化政策がすすめられ、独自の文化・言語が排斥されていったアイヌ民族。その困難な歩みはあまり知られてはいない。1922年わずか19年の生涯を閉じたアイヌ民族の少女・知里幸恵は、アイヌ民族の口伝「カムイユカラ」を文字に起こし平易な日本語訳を行った。知里幸恵の生涯と信仰にふれてみる。
(アイヌの口伝ユカラの中の神謡をカムイユカラと呼ぶ)

 「診断書には、結婚不可といふことが書いてありました。……充分にそれを覚悟してゐながら、それでも最後の宣告を受けた時は苦しうございました。いくら修養しよう、心ぢゃならない、とふだんひきしめてゐた心。ずっと前から予期してゐた事ながらつぶれる様な苦涙の湧くのを何うする事も出来なかった私をお笑ひ下さいますな。ほんとうに馬鹿なのです、私は……。
然しそれは心の底の底での暗闘で、つひには、征服されなければならないものでした。はっきりと行手に輝く希望の光明を私はみとめました。過去の罪怯深い私は、やはり此の苦悩を当然味はなければならないものでしたらうから、私はほんとうに懺悔します。そして、其の涙のうちから神の大きな愛をみとめました。そして、私にしか出来ないある大きな使命をあたへられてる事を痛切に感じました。それは、愛する同胞が過去幾千年の間に残しつたへた、文芸を書残すことです」
 知里幸恵が亡くなる4日前に両親へ送った最後の手紙の一節だ。投函の7日前に心臓病の専門医より「結婚不可」の診断を受けた。半年前に仮祝言を挙げ、婚約者との新生活を夢見ていた幸恵にとってつらい宣告だった。しかしこのとき、幸恵は自分の使命をアイヌの文芸を残すことを神の御心として表明している。
   ◇
 知里幸恵は1903年、アイヌ民族の両親知里高吉・ナミ(ノカアンテ)の長女として登別市に生まれる。ナミとナミの姉マツ(イメカナ)はアイヌ伝道の父と呼ばれるジョン・バチラーの創設した函館の愛隣学校で学び、洗礼を受け、聖公会の伝道婦として日高の平取に一時派遣されていた。幸恵自身も生後まもなくバチラーから幼児洗礼を受けている。
 幸恵は5歳の頃2年ほど生家の近くで祖母モナシノウクと2人で暮らした。モナシノウクは言語学者の金田一京助に「アイヌ最後の最大の叙事詩人」と評された人。アイヌ民族に口伝で謡い継がれてきた多くの「ユカラ」を語る語り部だった。その祖母と共に幸恵は小学校入学時に、旭川近文伝道所で伝道する伯母マツのもとに移住する。語り部の祖母、伝道者の伯母との3人の生活で幸恵は「ユカラ」と「信仰」を自分のものとしていく。
 18年夏、金田一京助がバチラーの紹介で旭川近文伝道所にモナシノウク、マツを訪ねる。このとき金田一は幸恵と出会い、日本語にもアイヌ語にも通じ、文才が豊かであるのに驚いた。金田一は幸恵にアイヌのカムイユカラを後世に残すことの大切さを伝え、上京するようにもすすめている。
 独自の文化と言語をもっていたアイヌ民族は明治政府の同化政策でそのライフスタイルを奪い取られ、さらには和人(日本人)からの差別と迫害を受けていた。保護という名のもと、土地を追われ、日本語を強要され、アイヌ独自の文化、宗教、習慣、習俗はことごとく否定されていった。アイヌの民族と文化が存亡の危機に瀕していた。そのような中、幸恵は先祖から綿々と伝わってきた叙事詩を書き記す決意をしたと金田一はのちに「近文の一夜」という文章に残している。
 やがてこの決意は『アイヌ神謡集』(23年郷土研究社刊、78年岩波文庫に収録=500円税別)としてまとめられ世に出る。しかし、幸恵自身はこの実を見ることなく、22年9月18日、神謡集の校正を終えたその日、東京本郷区森川1丁目の金田一京助の自宅で、心臓麻痺のため亡くなった。
[img align=right]http://jpnews.org/pc/uploads/img4962c67105242.jpg[/img] 美しい文章として評価の高い『アイヌ神謡集』の序に幸恵は「愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずるために用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、滅びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います」と記している。
 幸恵自身の著作として世に出たのはこの『アイヌ神謡集』1冊だけだが、彼女が両親に送った手紙や、22年5月に上京してから亡くなるまでの4か月あまりの東京の生活を記した日記が『知里幸恵 遺稿 銀のしずく』(草風館、2千円税別)として残されている。
 日記や手紙からは幸恵が女性としての幸せを願いながらそれが許されない現実が切実に伝わってくる。それらを信仰によって受け止めている姿もうかがえる。
 幸恵の姪の横山むつみさんは「幸恵さんはその短い生涯を自分の役割を果たして亡くなっていったんだと思います。けれども、心は揺れていたと思う。敬虔なクリスチャンのように言われるけれど、信仰についても、女性としての幸せについても胸の内では葛藤があった。そのことも含めて幸恵さんのことを未来に伝えていきたい」と語る。
 横山さんは現在、知里幸恵の生涯と業績を伝える記念館開設の準備を進め、幸恵の生家の一角に2010年の開設を目指している。
 ●知里幸恵記念館建設問い合わせ先/事務局・知里森舎Tel.0143・83・3677、募金振込先/郵便振替02740・0・16185加入者名・知里幸恵記念館建設募金