(C)Pastorale Productions- Studio 99
古い付き合いの友人二人。貴族で博識なアパート管理人(左)と人類学者。 (C)Pastorale Productions- Studio 99

緻密に計算されたカメラワークは定評で、毒気の効いた社会風刺と独自のユーモアを織り交ぜた人間観を寓話的に表現する作風で知られるオタール・イオセリアーニ監督の最新作「皆さま、ごきげんよう」。不条理に満ちた人間の営みを過去・現在・未来へのつながりとして観察し、可笑しな現代の寓話を愉しませてくれる。

絶え間ない人間の営みを
ヒュポステジーとして描く

物語のオープニングは、フランス革命時期のギロチン処刑のシークエンス。処刑を見物しようと編み物かごを抱えた女たちがおしゃべりしながら待っている。処刑される貴族の男(リュフュ)は、カツラははぎ取られたが口にくわえたパイプは断固守りとおしてそのまま断首された。

一転、時代は20世紀のとある戦場。兵士たちは民家に押し入り略奪の限りを尽くす。一方で、死と隣り合わせの兵士たちは司祭から洗礼を受けるため川辺に並んで順番を待っている。受洗式が終わり、司祭服を脱ぐと軍の将校(リュフュ)だった。

時代は、現代のパリ。貴族で博学なアパートの管理人(リュフュ)が、アパートの裏庭で武器商人に武器を渡し代わりに希少本を受け取っている。管理人の友人の人類学者(アミラン・アミラナシビリ)は、頭蓋骨から顔立ちを復元する作業をしている。この腐れ縁のような友人二人が、ローラースケートに乗ってひったくる窃盗団の子どもたちや公園のテント村から警察に追い出されるホームレス集団の騒動などに巻き込まれていく。管理人は、他者には見えないが街角の壁塀に小さい楽園のような庭に入れるドアを開けることができる。この世の不条理や喧騒から解き放たれた小さな幸せへの扉なのだろうか…。

作品のこと、映画と宗教の関係などについて語るイオセアーニ監督。
作品のこと、映画と宗教の関係などについて語るイオセアーニ監督。

ギロチンで処刑された貴族、祭司服を着て授洗していた将校、現代のパリの管理人は、同じ顔立ちの人物。ほかにも同様の人物が登場している。これは東洋的な輪廻観の表現と誤解しそうだが、イオセリアーニ監督は「キリスト教では、神が同時に父であり、子であり、聖霊である三位一体といえるようなもので、主人公の管理人などはそのようなヒュポステジーの一例です」という。

宗教はさまよう大衆のためにある
優れた監督作品は宗教の説教のよう

旧ソ連のグルジア(現ジョージア)出身のイオセアーニ監督は、作品が完成しても当局によって公開禁止処分にされた。1979年にフランスへ移住したが、旧ソ連時代の「教会は、KGB(ソ連国家保安委員会)のエージェントが教職者であり、スパイの巣のようで悪夢だった」と語る。

監督自身は、「キリスト教徒ではあるが、信仰者として(教会などで)活動したことはない」という。監督にとって映画と宗教的な関係とは、「宗教はさまよう大衆のためにあるようなものだと思う。偉大な芸術家は、この地上にある精神的なもの、スピリチュアルなものを掬い出して、人間にとって何らかの規準を示そうとし、それを教えようとする試みであったと思います。ヴィクトリア・デ・シーカや黒澤明などの映画でも同じことが言えます。彼らの作品の基盤には、キリスト教や仏教・神道などの宗教があったと思いますし、それら(基盤にある)宗教の説教を語っているようなものだと思う」。

イオセリアーニ監督作品が、現代社会への風刺をユーモアを持った寓話のようであることが、すこし理解できた。 【遠山清一】

監督:オタール・イオセリアーニ 2015年/フランス=ジョージア/フランス語/121分/原題:Chant d’hiver 配給:ビターズ・エンド 2017年12月17日(土)より岩波ホールほか全国順次公開。
公式サイト http://www.bitters.co.jp/gokigenyou/
Facebook https://www.facebook.com/minasama.gokigenyou/

*AWARD*
2015年:リスボン&リストリル映画祭審査員特別賞受賞。ロカルノ国際映画祭コンペティション部門正式出品。ウラジオストックホルム国際映画祭クロージング作品。