映画「僕らのごはんは明日で待ってる」--あだ名“イエス・キリスト”青年が気づいた明日
ネガティブでネクラだが人柄の良さから大学で“イエス・キリスト”とあだ名をつけられた主人公の青年と何事にもポジティブな明るい元気娘が、高校生の時に出会ってから7年間の顛末をコミカルに描いたハートウォームなラブストーリー。青年らしいユーモアとテンポの良い会話で、日常の何気ない楽しさに包み込まれる。一方、大切にしていた人生の目標を果たせなくなる喪失感の大きさ、そこからの再生という重たいテーマが、日々の歩みの中で、誰にでもごく当たり前に起こることへのメッセージと励ましが描かれている。
誰もが悩みや重荷を当たり前
に背負いながら生きている
葉山亮太(中島裕翔)と上村小春(新木優子)の恋は、高校三年最後の体育祭に始まる。無口でネガティブ、昼休みは独りで本を読み、授業中も遠く空を眺めて黄昏ている亮太には一人も友達がいなくなっていた。誰もミラクルリレーの米袋ジャンプで亮太とペアを組むのを嫌い、活発でポジティブな体育委員の上村小春(新木優子)が責任上貧乏くじを引くことで決着した。ところが根は真面目で頭もいい亮太のアドバイスが功を奏し、レースで数組を抜いてクラスは1位に。同じ中学の時から亮太に憧れていた小春は、「1位になったら、(亮太に)告白しようって決めていた」。だが、「誰と付き合うの?」と鈍な応答をする亮太。小春のペースに押し切られて付き合うことにはなった。
中学の時は活発だった亮太だが、尊敬する兄を病気で亡くしてからは、死に関する本ばかりを読み漁り、大切なものを失いたくない思いから物事をネガティブに考える高校生になった。その事情は、同じ地域で暮らしている小春も薄々は知っていた。だが、ほとんど自分や家族のことは亮太に語らない。亮太がようやく聞き出せたのは、小春は両親を知らず、生まれて間もなく祖父母に育てられてきたこと。小春を可愛がって大切に育ててくれた祖父は亡くなり、今は祖母の芽衣子(松原智恵子)との二人暮らし。そんな小春の夢は、楽しい家庭を作って自分を棄てた母親を見返すことだという。小春のポジティブな明るさは、悩みや重荷は誰もが背負って生きているということを受け入れているゆえ。それと「神さまは乗り越えられる試練しか与えない」とどこかで聴いた言葉。
小春は保母を目指して女子短大へ、亮太は小春の短大が近いという理由だけで選んだ大学に進学し、アパートを借りた。ケンタッキーフライドチキンやファミレスのメニューの味に似せようと小春の料理は、話題に事欠かない。大学で、頼まれれば誰にでも講義ノートを貸してやり、出欠の代返もことわらない亮太は、広い心の持ち主ということで“イエス・キリスト”とたいそうなあだ名をつけられた。小春までが亮太のことを「イエス」と呼ぶ。
小春が保母になり、亮太が卒業間近のある日。ファミレスで食事している最中に、小春が「もう御終いにしよう」と唐突に別れ話を切り出した。青天の霹靂の亮太には、「これ相談じゃなく、報告だから」と一方的に宣告され、とりつく島がない…。
乗り越えられない試練は
与えられない
原作では、結婚した二人に大きな試練が臨むが、本作では結婚前の恋愛のなかで亮太が小春の存在の大切さに気付き、決断する契機に脚色されている。若いふたりの明るく楽しい恋愛関係に深くて大きな影が落ちる感じを受けるが、それは日常的なことで誰にでも起こることをさりげなく覚させてくれる。深刻なドラマではなく、二人で食事する毎日を大切にすることから、明日が見えてくるような物語に優しいエールを感じる。
ちなみに、二人が語り合っていた“乗り越えられない試練”の聖書の言葉を記しておきましょう。「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(コリント第一の手紙 10章13節) 【遠山清一】
監督:市井昌秀 2017年/日本/109分/映倫:G/ 配給:アスミック・エース 2017年1月7日(土)TOHOシネマズ新宿ほか全国ロードショー。
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