園子温監督・配給=ギャガ・コミュニケーションズ。8月22日より、全国ロードショー公開 (C)2009「ちゃんと伝える」製作委員会
園子温監督・配給=ギャガ・コミュニケーションズ。8月22日より、全国ロードショー公開 (C)2009「ちゃんと伝える」製作委員会

「あの健康そのものの父が倒れた!」。一人息子の史郎にとって、悲劇は突然やって来た。地元の高校サッカー部で鬼コーチとして鳴らした父が倒れ病院に担ぎ込まれたのだ。すでに、父の体はガンにむしばまれており、治る見込みはなかった。

学校ではスパルタ主義のコーチとして、家では厳格な家長として絶対的な権威を持つ父親に史郎は、これまで一度も心を開いたことはなかった。だが、父との対話を避けてきたことを後悔し、ある決意を固める。それは、必ず毎日一時間は病室を訪れ、父に寄り添い親子の関係を修復することだった。史郎のひたむきな思いが通じたのか、次第に二人の距離は縮まって行く。

「元気になったら、湖へ連れて行ってくれ。お前とおれ二人で行きたいんだ」。あんなに厳格な父が、密かに息子に託した夢。それは、美しい湖へ息子と一緒に釣りに行くことだった。
だが、悲劇が史郎を再び襲う。体調不良で、精密検査を受けた史郎に、担当医は静かに宣告した。「史郎さん。あなたがガンです」。しかも、医師によると、ガンは悪性で父より病状が重いという。史郎には、そんな残酷過ぎる事実を両親に伝えられるはずもなかった。

映画は、この、日常的な最期の時に、果たして、我々はちゃんと語るべきことを語ることができるのかを問いかける。史郎の場合は、真実を語るべき相手は両親だけでなく、結婚の約束までした陽子にもそうであった。

「もしも、おれが父さんみたいにガンで死ぬと分かっていても、一緒にいてくれるかな」。そんな史郎の問いかけに陽子は、そんなバカなと思いつつ、真実をちゃんと伝え合うことを約束するのだった。

父親は、やがて最期の時を迎えるが、残された史郎のいのちはどうなるのかは分らないまま映画は終わる。ただ、人は死ぬ存在であることを受け入れたとき、その人生は輝き始めることを監督は言いたかったのではないか。

いかにも日本映画らしく、ここには死の意味を問う宗教的視点はない。ただ少なくとも、最期の時を自分が迎えたとき、どのようなことばを隣人に対し語るべきかを問われた作品ではある。 (守部喜雅)

公式サイトはこちら→ http://chantsuta.gaga.ne.jp