(c)「氷雪の門」上映委員会
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夏になると満州事変、日米開戦そして敗戦決断の一日を描いた映画「日本のいちばん長い日」など、戦争の悲惨さと平和への願いを訴える作品が映画、テレビなどで紹介される。だが、旧ソ連軍による樺太(ロシア名:サハリン)侵攻そのものを取りあげた映画は少ない。1962年から新聞の連載された「樺太終戦ものかたり」を増補改訂して出版された『樺太一九四五年夏―樺太終戦記録』(金子俊男著、1972年刊)。同著を原作として74年に制作された本作品は、敗戦後も続いた樺太での戦闘終結への混乱、そのなかで起きた女子電話交換手9人が集団自決した真岡郵便電信局事件を正面から描いている。

1941年に締結された日ソ不可侵条約に守られた南樺太は、戦争末期とは思えないほど整った町並みの中で落ち着いた日々が送られていた。

だが、8月9日にソ連軍が一方的に不可侵条約を破棄し、国境とされていた北緯50度を超えて侵攻してきた。ポツダム宣言を受諾した8月15日を過ぎてもソ連軍の侵攻は止まるどころかむしろ拡張し、無抵抗な一般島民も多くが銃火で攻撃され殺りくが繰り広げられていく。貿易港で製紙工場のある町・真岡にもソ連軍の艦隊が迫り、艦砲射撃の砲弾が町並みを破壊し、狙撃兵たちが上陸し大人や婦女子の見境なく銃弾を浴びせる。軍や公的指示命令の電話を繋ぎ、要所への通信連絡を守ってきた真岡郵便電信局にも銃弾が打ち込まれ、電話回線も一つひとつ切断されていく中で、電話交換手らはいよいよと服毒自決を決心し、残った1本の回線で最後の挨拶を告げる。

(c)「氷雪の門」上映委員会
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当時、5億円超の巨額を投じて制作された作品だが、旧ソ連政府からの「反ソ連的な作品」だとの抗議の中で、ごく一部で上映されたのみで一般公開は止められた。

確かに、真岡事件の後におきた、引き上げ船の被弾沈没が同日の事件として扱われ女子交換手らの家族の安否を気遣いながら職務を遂行している心理を圧迫していく展開など、細かなところでの脚色は見られる。だが、8月15日以降も続くソ連軍の侵攻作戦、日本軍の停戦交渉使の射殺事件、引き上げ船3隻の被弾沈没など歴史的な真実のストーリーは、見ている者の胸が切なくほど克明に描かれている。

映画は、良くも悪くもその時代を切り取っている。冷戦下で上映禁止となった当時から36年後の公開。その後の史実も検証が積み重ねられており、ソ連軍侵攻の混乱の中で朝鮮人をスパイとして日本人による虐殺事件が起き、95年に賠償訴訟が提訴されたことも記憶に残されている現在、ただ日本人だけが被害を受けたというような短絡的な見方からは逃れられ、冷静に見ることが出来るだろう。

主役の電話交換手班長を演じた二木てるみを始め、藤田弓子、木内みどりら女優陣が攻撃されている怖さの中で、内なる勇気を静かに奮い起こしていく演技。この作品を通して、生きたいという思いを持ちながら自決していく不条理への憤りと平和への願いが、制作スタッフらの熱意とも相まって伝わってくる。   【遠山清一】

村山三男監督作品(1974年、119分)、配給:太秦(株)。7月17日(土)よりシアターN渋谷にてロードショーほか全国順次公開

公式サイト http://www.hyosetsu.com