Movie「神々と男たち」――“きよめられた良心”への畏敬
イスラム教圏のアルジェリアのチビリヌで修道院で、1996年3月に修道士7人が誘拐され、5月に虐殺された実際出来事に基にして、その心の軌跡と真実を追う。
見終わって、「キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう」(へブル9章14節)の聖句から’きよめられた良心’の言葉を想う。 ‘きよめられた良心’は、生ける神に仕え、生ける神とともに生きることを希求する。
◇実話をもとに
◇心の軌跡追う
’90年代半ばのアルジェリアは、武装イスラム集団のテロが、政府だけでなく一般市民にもエスカレートする内戦の状況にあった。
’30年代に小さな村に建てられたカトリックの修道院。院内の診療所には、毎日100人もの村人たちが治療を受けに来る。また、行政手続きの指導やよろず相談ごとなども手助けし、村民の生活にも長年支えてきた。その修道院の近くでも、白昼クロアチア住民がテロ集団に襲われ虐殺される事件が起こり、行政と軍は警備を置き修道院を守ろうとするが、院長のクリスチャンはきっぱり申し出を辞退する。
だが、クリスマスイヴに修道院は武装イスラム集団に襲われた。彼らのリーダーは、負傷した仲間を手当てするため医師の修道士と薬を提供しろと迫る。リーダーと掛け合うクリスチャンは、脅しにも屈せず「村人に必要だ」と言って断り、コーランからキリスト教徒もイスラム教徒も互いに隣人だと説得する。クリスチャンのコーランとイスラムの信仰に敬意を示す態度に、過激派のリーダーも信仰者として応対し何もせずに引き上げて行った。
テロ集団が退去した後、緊迫した状況でも村に残るべきか、本国政府からの指示に従って国外退去すべきか。修道士たちは真剣に議論するが、意見は分かれる。日々の祈りとミサ、畑を耕し蜂蜜を採り、村人たちの診療を続け、周囲の喧騒に流されることなくおのおのが神に祈り、導きを求める。恐怖心におののきながらも、日々の務めに生きる信仰の静謐さ。一人ひとりが悩みながらも、修道士たちの結論が一つにまとまった。その夜の晩餐の時に、ラジオカセットから流れる「白鳥の湖」第2幕「情景」、それに聴き入る修道士たちのシーンが厳粛で美しい。
だが、その深夜に事件は起きた。
冒頭に詩篇82篇から「私は言う。あなた方はみな神々である。しかし人間として死ぬだろう」の一節が映し出される。この世の王、権力者たちを「神々」と表現する一節。キリストを救い主と信じる男たちの信仰と決断が、「神々」の前に静かに証しされていく。
キリストの十字架の血潮に’きよめられた良心’は信じる者に与えられた恵み。それが、製錬する火を通されるとき純金のような重厚さと輝きを放つ。生前に、覚悟をもって書き遺していたクリスチャンの手紙の言葉は、神の義の奥深さと神の愛の大きさを宣べ伝えて閉じられる。 【遠山清一】
監督・脚色:グザヴィエ・ボーヴォワ、フランス映画/2010年/102分/原題:DES HOMMES ET DWS DIEUX。配給:マジックアワー+IMJエンタテインメント。2010年カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品。3月5日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国ロードショー。
公式サイト http://www.ofgods-and-men.jp