Movie「大地の詩(うた) 留岡幸助物語」――“一路白頭ニ到ル”の気概と出会いの人生描く
東京、北海道の自然環境と’夫婦小舎’制による更生教育で’不良少年更生の父’と称される明治期の社会事業家・留岡幸助。彼のキリスト教徒の出会いや教誨師の経験から少年期の更生教育が再犯そして犯罪者を少なくしていく一大社会事業との確信を持って歩んだ’一路白頭ニ到ル’生涯を描いている。
幼くして商家・留岡金助(石倉三郎)と勝(和泉ちぬ)の養子となった幸助(村上弘明)は、明治になり町人の子も寺子屋で学べる時代になったのに威張り腐る士族の子にいじめられ、けんかとなり打ち負かしてしまう。だが、それが元で養父の米屋は出入り禁止になり、「長いものには巻かれろ!」と折檻され、「俺は何も悪いことしていない!」と釈然としない。
やがて家に養女がやってきた。後に幸助の妻となる夏子(工藤夕貴)だ。不平等な身分社会に憤りを感じていた幸助は、成長して街で路傍伝道するケリー宣教師(アーサー・ホーランド)が説教の中で「士族の魂も、町人の魂も赤裸々になって神様の前に出る時は同じ値打ちのものである」と語った言葉に感動し、キリスト教に入信する。
江戸時代からの伝統的な価値観が色濃く残る土地柄の中で、さまざまな手立てでキリスト教の棄教を迫られる幸助は、夜逃げ同然に西京の同志社に身を置く。そこで、遊郭と監獄という社会の二つの暗黒面の存在を知り、監獄改良を訴え続けたジョン・ハワードの伝記に強い影響を受ける。卒業して牧師となった幸助のもとに金森通倫(小倉一郎)がやってきて、北海道の空知集治監の教誨師での働きを勧められた幸助。妻の夏子は「それが、あなたの使命ならば、どこへでもついて行きます」と決意する。
森を伐採し道を切り拓く重労働だけでなく、足にはめられた鎖と劣悪な境遇の中で苦しい生活をする囚人たち。幸助は、監獄改良のための提言や努力と共に、彼らの成育史を聞くうちに幼児期の家庭環境が大きく影響していることに気付かされていく。監獄改良のための学びで二度米国留学した幸助。だが、その度に子どもたちを育てながら昼夜惜しまず働く妻の夏子。見かねた石井十次(村田雄浩)は、渡米中の幸助に早く帰国して家族を守るように手紙で諭す。
監獄改良から不良少年たちの更生事業として「家庭学校」の建設と運営にまい進していく幸助。その、道半ばで病に倒れ早世した夏子。幸助は、はじめて大きなものを失い、その喪失感の中で神と向き合う。
留岡幸助の人との出会い、主要なエピソードがほぼ語りつくされているようなストーリー展開。その中で、世間から厄介者扱いされている子どもたちを’救うべきもの、導くべきもの、教うべきもの、愛すべきもの’として接していく、幸助を演じる村上弘明の眼差し。家庭と母親の慈愛の大切さを説き続ける幸助の言葉が、一貫してこの作品のメッセージとして語られる。母としてのシーンは少ないながらも、勝と夏子を演じる和泉ちぬと工藤夕貴の母として存在感が幸助の言葉を裏付けるものとして伝わってくる。 【遠山清一】
山田火砂子監督。2011年/日本/1時間56分。製作・配給:現代ぷろだくしょん。4月9日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開。