©2011「エンディングノート」製作委員会
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オープニングシーンのちょっとした違和感というか’驚き’に引き付けられていく。タイトルを見れば、葬式から始まっても不思議ではない。だが、どことなく明るさを感じさせられる。カトリック教会の会堂に明かり窓から差し込む光の豊かさか。ドキュメンタリーの主人公の遺影は、バイタリティと人柄のよさそうなお顔のおじさん。なのに「私の名前は、砂田知昭」と一人称で語るナレーションのお声は若い女性。この小さな’驚き’の主は、主人公の次女でこの作品の撮影者でもある砂田麻美監督なのだ。

東京・丸の内に本社を置く一部上場企業で営業畑を歩んできた元熱血営業マンの主人公は、何事も状況をきちんと把握して、自分で決断して物事を進めていく性分。そして、がん告知を受けてまず取り組んだのは、エンディングノートづくり。この世での生涯を終えるに際し、葬式の段取りとその後のことを簡潔に認めておく。いわば’終活’を段取りした記録。なんとも見事な’終活’録。

オープニングの葬式から時計の針が半年ほど戻る。そこは葬式を行った教会の司牧室。主人公は、カトリック信徒ではないが自分の葬式をこの教会で執り行ってほしいと相談に訪ねてきた。ガンを告知され、覚悟して神父を訪問。
常人であればそんなシビアな状況をカメラに収録させるようなことは、おそらく考えないのではないだろうか。だが、がんを宣告された69歳の男性と、葬儀の申し入れを聞く神父の真摯な会話は収められていく。「自分の人生をきちっと、デッサンしておかないと、残された家族が困りますから」と。

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「神父を訪ねる」を始まりに物語られていく11の章立て。「気合いを入れて孫と遊ぶ」「自民党以外に投票してみる」「葬式をシュミレーション」「あわび、母」「式場の下見をする」「もう一度孫と会う」「孫に挨拶、母に電話、親友と談笑、息子に引き継ぎ」「洗礼を受ける」「妻に(初めて)愛してると言う」「エンディングノート」。各章のタイトルを追うだけでも、家族と周囲の人たちへの愛情と配慮、思いやりが伝わってくる。そのストーリーを進行する父娘の掛け合いのような錯覚に陥るナレーションの妙と、主人公の生前のショットの味のある会話の数々が、時にユーモラスな空気をつくりだし、ついつい魅入ってしまう。

ところで、「エンディングノート」とは、’遺書よりもフランクな、家族への覚書のようなもの’と説明されている。文章であっても、箇条書きであっても、その形式は自由。だが、その凝縮された1文字1行に故人のさまざまな思いが埋め込まれている。

砂田監督は、子どもの時からカメラを持ち歩いては家族を撮りまわっていた。カメラをほとんど意識していないかのような自然な表情の一つひとつが、観ているものも自分の家族かのような世界へと誘われている。自分の人生の最期をどうデッサンしたいのか。いっしょに、自分の死期と人生を見つめてみると、なにか死を通過するとその向こうに明るいものがあるような気持ちになってきた。   【遠山清一】

監督・撮影:砂田麻美 2011年/日本/89分 配給:ビターズ・エンド 10月1日より新宿ピカデリー、109シネマズ川崎、(名古屋)ミッドランドスクエアシネマ、なんばパークスシネマほかロードショー

公式サイト http://www.ending-note.com