とても仲がいいイ・サングクとキル・ギュンヒ

健聴者のイギル・ボラ監督は、耳が聞こえないろう者を両親に持つ“CODA”(コーダ:Children Of Deaf Adults)。やはりコーダの弟グァンヒとともに両親の耳となり、手話ができない人への口話通訳として両親の働きをフォローしてきた。耳が聞こえず音感がないため言語を発せないろう者の生活文化と健聴者の音のある生活文化の二つの世界をつないで生きているコーダの兄弟。ボラ監督が両親の生い立ちと現在を描いたドキュメンタリーは、ろう者とコーダの暮らしをとおして二つの文化が互いにひとつの世界を拓いていくことの豊かさを気づかせてくれる。

【あらすじ】
ボラ督の父イ・サングクと母キル・ギュンヒが、自宅でクリスマスの準備をしている。耳が聞こえない二人は、手話でアドバイスしながら部屋の飾りつけをテキパキと進めていく。サングクは「手話で『ここを見て』というときは、耳の聞こえない人たちはこうやって両手を挙げて掌(てのひら)をきらめかせるんだ」と説明する。

サングクとギュンヒの出会いは、キリスト教会の感謝祭。聖書劇に出演したギュンヒのエキゾチックな美しさにサングクは一目ぼれ。多くの男性をときめかせていたギュンヒをサングクも追いかけまわしたが、切ない思いは伝わらず、ついに恋煩いで寝込んでしまった。それを聞いたギュンヒは、仕事を放り出してサングクを訪ねてきた。ギュンヒを見て、すぐに回復したサングク。二人は恋に落ち、1989年春に教会で結婚式を挙げた。

 長女のボラを授かると、両親はすぐに言葉の世界に直面する。昼間でも夜泣きでも、二人には子どもの泣き声は聞こえない。両親は子どもの以上に気づきにくい不安を抱きながら育児に頑張った。授乳しながら手話でボラ監督をあやすギュンヒ。ボラは、言葉よりも先に手話を覚えた。口を閉じて手話でコミュニケ―ションする母子を見て、祖母はボラも聴覚障害者かと誤解したが「ボラ」と名前を呼んで振り返ってくれたので安心したという。

“家族の代わりに書いた日記”--両親と一緒にやる宿題が出ても、簡単な文章も書けない両親に何も頼めない子どもたち。ボラは、ワッフルを売る商売をしている両親が子どもたちを祖母に預けて商売に出かけている心情を代筆して提出した。やがて成長したボラは、全寮制の高校へ進学し家族と離れた生活を始める。その高校も、「もっと世界をみたい」と言って中退し東南アジアへ飛び出していく。弟グァンヒは、小学生のころ“障害者の子”というレッテルを張られいじめられていた。その彼も自分でもよくわからない融資の話しを父親に代わって先方に通訳するなど、ろう者の世界と健聴者の世界をコーダとしてつないできた。家族で郊外に土地の物件を見に行く。バリスタになるというグァンヒを慮って、サングクは「ここにカフェをつくろるつもりだ」と笑顔で楽しそうにいう。黙っているがグァンヒは街なかに物件を借りてカフェを開く計画でいる。コーダの姉弟は、両親が思うよりも早く大人になっていく…。

【見どころ・エピソード】
ろうあ者のサッカー国際大会で優勝経験があるスポーツマンの父サングクとエキゾチックな顔立ちで多くの男性をときめかせたが教師志望だった母ギュンヒ。二人の夢はハンディキャップも影響してかなえられなかったが、懸命に働きながら二人の子育てに前向きにチャレンジする姿が何とも爽快で励まされる。実の両親と弟の半生をカメラを通して見つめるボラ監督は、弟とともにコーダとしての苦労と喜びが生活感豊かに伝わってくる。ろうあ者と健聴者が共に生きることの豊かなきらめきが身近に聴こえてくる。 【遠山清一】

監督・撮影・編集:イギル・ボラ 2014年/韓国/韓国語/80分/ドキュメンタリー/原題:Glittering Hands 配給:ノンデライコ 2017年6月10日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開。
(本作は、ろう者や難聴者の方にも音楽や環境音の説明、言葉を発している人や映像に出ていない質問者などの話者氏名などを翻訳字幕に追加して表記する「バリアフリー字幕」版にて上映)
公式サイト http://kirameku-hakusyu.com
Facebook https://www.facebook.com/kirameku.film/

*AWARD*
2015年:山形国際ドキュメンタリー映画祭2015 アジア千波万波部門特別賞受賞。 2014年:第16回ソウル国際女性映画祭オンナン文化賞受賞。EBS国際ドキュメンタリー映画祭招待作品。DMZ国際ドキュメンタリー映画祭招待作品。Persons with Disabilities Film Festivalグランプリ作品。