©Christine PLENUS
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「ロゼッタ 」「ある子供」(共にカンヌ国際映画祭パルムドール大賞受賞)など、親子の関係を作品テーマの基盤に据えているダルデンヌ兄弟の監督・脚本らしさが温かく伝わってくる。町の生活やの情景も出来事も大げさではない。明日、自分も遭遇するかもしれない日常性が、なんとも自然だ。それでいて、この少年に笑顔を取り戻させてあげたい。ふと気づいたら、人の心とつながることは、なんと温かいものかという感触を覚えさせられる。

12歳になる少年シリルは、父親にホーム(児童養護施設)へ預けられたことが納得できない。’そんなはずはない’という思いが湧き上がってくる。職員室から家に電話しても父親は出ない。なぜ自分の自転車がないんだ!? お父さんは僕が気に入っていて大事にしてたことを知っているのに!。

ホームを抜け出して自宅アパートへ確かめに行くシリル。管理人は「引っ越した」という。「でも表札はあるじゃないか」と食い下がるシリル。ホームの職員が連れ戻しに来たのを察知して、アパートメントの診療所に逃げ込む。そこで診療待ちしていた美容師のサマンサに絡み付いて転ばしてしまう。翌日、意外なことにサマンサが自転車を買い戻して、ホームに持ってきてくれた。だが、「お父さんが、大事にしていた僕の自転車を売るはずがない。きっと盗まれたんだ」と父親をかばうシリル。サマンサは、シリルの言葉には気に掛けず、ホームを出ようとする。入り口まで自転車で追いかけ、サマンサに「僕の週末里親になって!」とお願いするシリル。週末に父親捜しをサマンサに手伝ってもらおうとしているかのようだ。

あまり気にも掛けずに週末里親を引き受け、シリルの父親の居所捜しを手伝うサマンサ。その途中、ガソリンスタンドで父親が書いたオートバイトと少年用自転車を売る張り紙を見つけたシリル。ようやく父親が働いている店を見つけたが、父親は迷惑そうに「(ホームに)電話はする」とだけ約束する。だが、店から送り出すとき、サマンサには「自分には負担が大きい。あんたが(シリルの)面倒を見てくれ」と懇願する。「自分の口で言いなさい」と、毅然とした態度で勧めるサマンサ。

©Christine PLENUS
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週末里親のサマンサの所へ自転車でやってくるシリルは、不良グループに目をつけられていた。とうとう、そのグループに自転車を乗って行かれるのを見てあとを追う。たった一人で食い下がりあきらめないシリルは、リーダーのウェスに気に入られた。同じホームで暮らしていたウェスに優しくされ、気を良くしていくシリル。ある日、ウェスがシリルの’男気’をくすぐるような話を持ちかけてきた…。

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督は、2003年に「息子のまなざし」の公開に先立つパネルディスカッションで、ホームに預けられた子が屋根に上って親が迎えに来るのを待っていたという小林小夜子弁護士の話を聞き、インスパイアされてこの作品を作り上げた。

2月8日にダルデンヌ兄弟監督を迎えて、小林弁護士、里親の坂本洋子さん、家庭養護促進会の岩崎美枝子さんらによるパネルディスカッションが開かれた。そこで語り合われた、子どもと里親の関わりや大人が寄り添うことの大切さ。そして「血がつながっていなくても家族になれます」というパネラーのことばに、この作品のメッセージも込められていた。
それは、原罪という神との関係を断ち切った人間が、キリストを信じることによって神の子とされ、いつも祈りに耳を傾け寄り添われている温もりにも似ている。だが、神は強くするための訓練をも愛をもってなされる。サマンサが、過度な優しさで接する態度をとらないことに、シリルがサマンサへの信頼を深めたように。  【遠山清一】

監督:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ 2011年/ベルギー=フランス=イタリア/87分/原題:Le Gamin au velo 配給:ビターズ・エンド 2012年3月31日(土)よりBnkamuraル・シネマほか全国順次公開 *クリスチャン新聞3月25日号に犯罪を負った少年たちの更生に携わっている今村洋子氏の寄稿文を掲載する予定です。

公式サイト:http://www.bitters.co.jp/jitensha/