Movie「ファウスト」――壮大な戯曲で“生きること”を問う脚色
悪魔に魂を売り渡したといわれる中世ドイツに実在した錬金術師で魔術師のファウスト。文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749年8月28日―1832年3月22日)が、20代半ばに着手し最晩年に脱稿した原作『ファウスト』。アレクサンドル・ソクーロフ監督は、ゲーテの原作を独自の視点で脚色し、現代へのメッセージ性を重視した再構成と映像美で二部構成の大戯曲を映画化した。
19世紀初頭のドイツ。森に囲まれた神秘的な町に暮らす高名な学者ファウスト博士(ヨハネス・ツァイラー)は、助手のワーグナーと研究室で’魂’の所在を見出すべく死体を解剖している。だが、今回も見つからない。「魂の正体を知っているのは、神と悪魔だけです」と呟くワーグナー(ゲオルク・フリードヒ)に、ファウストは「神など存在しない」と言い放つ。
研究費が足らなくなり診療所を開いている父親を頼りに行くが、度重なる無心は聞かれず追い返される。しかたなく、’悪魔’と噂される高利貸しのマウリツィウス・ミュラー(アントン・アダシンスキー)を訪ね、指輪を担保に借金を申し出る。家じゅう担保の品々でいっぱいのマウリツィウスは、「価値があるのは金ではなく、時と芸術。金は貸さないが別の形でなら力になろう」と提案する。断られたと思ったファウストが自宅に帰ると、ワーグナーが命じられていた毒を小瓶に入れて持ってきた。そこへマウリツィウスがやって来て、その小瓶を見つけると飲み干してしまう。毒を飲んでも何の異常も見せないマウリツィウス。ファウストは彼に興味を抱き、「知らないことを教えてやろう」という囁きに誘われるまま、女たちが集まる洗濯場へついて行く。そこで、服を脱ぎ入浴するマウリツィウスの奇妙な体型と尻尾。女たちはマウリツィウスを囃し立てるが、そのなかにいた清楚でひときわ美しい若い女性マルガレーテ(イゾルダ・ディシャウク)を、一目で見染めてしまったファウスト。
洗濯場から地下酒場へ誘い出したマウリツィウスは、巧みな言葉と策略で騒動を起こし巻き込まれたファウストは誤って若い兵士を刺殺してしまう。その兵士はマルガレーテの兄だった。動揺を隠せないが、思慕からマルガレーテに近づいていくファウスト。彼女との恋を成就したいファウストは、自らの魂をマウリツィウスに差し出す契約を結び、自分の血で署名してしまう。
原作に登場する’悪魔’メフィストフェレスは、本作では高利貸のマウリツィス・ミュラーの姿に置き換えられている。ソクーロフ監督は、「メフィストフェレスは声だけのような、スピリチュアルな存在であるべきと思った。メフィストフェレスを高利貸しマウリツィスに仕立て、不愉快で不健康なキャラクターにした」と語っている。その容姿もアントン・アダシンスキーの繊細で狡猾な悪魔の演技もみごとに功を奏している。
聖書と信仰へのファウストのアンチテーゼ。原作同様、ファウストと’悪魔’の韻を踏んだ軽妙な対話の応酬。くすんだ町の雰囲気。町に金融が台頭していくことを予感させるような展開。
ソクーロフ監督は、前3作の「モレク神」(ヒトラー)、「牡牛座 レーニンの肖像」(レーニン)、「太陽」(昭和天皇)で実在の人物をとおして不幸な権力の危険な存在を描いた。その完結篇に位置づけられる本作は、ゲーテの戯曲をモチーフに、魂の存在と生きることの意味を壮大さと深さをもって強烈に問いかけている。 【遠山清一】
監督:アレクサンドル・ソクーロフ 2011年/ロシア/140分(ドイツ語)/原題:Faust 配給:セテラ・インターナショナル 2012年6月2日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開