様々な波乱を乗り越えてイギリスの学生たちとサッカーの試合を町の人たちに見せるチャンスが訪れた。©2011 DEUTSCHFILM / CUCKOO CLOCK ENTERTAINMENT / SENATOR FILM PRODUKTION
様々な波乱を乗り越えてイギリスの学生たちとサッカーの試合を町の人たちに見せるチャンスが訪れた。©2011 DEUTSCHFILM / CUCKOO CLOCK ENTERTAINMENT / SENATOR FILM PRODUKTION

‘教育’は、英語educationなど語源からの定義では「その人の持つさまざまな能力を引き出す」こと。その能力を引き出すための方法・手段の一環としてある種の強制はなされたとしても、本来は、人の自由な意思の中で、その人の体力的・知的・徳育的な諸能力が育てられていくことにある。そうした自由と個性を引き出す教育改革を、サッカーという競技スポーツを通して実践した教師と生徒たちの実話。理由もなく疎まれたり、いじめの事件が教育制度の疲弊と閉塞感の中にある日本の公教育、社会の空気の中で’諦めるな’というエールの風がさわやかに吹いてくるような作品だ。

1874年、イギリスに留学していたコンラート・コッホ(ダニエル・ブリュール)が、母校のカタリネウム校に英語教師として帰ってきた。普仏戦争に勝利し皇帝ヴィルヘルム1世が即位して間のない帝政ドイツ。その勢いは、次の仮想敵国を英国とする気運に盛り上がっていた。

国威宣揚のなかで英国に対する強い偏見と、軍事教練的な体操教育。コッホ先生の歓迎パーティでは、名士でカタリネウム校の後援者として絶大な権力を持つリヒャルト・ハートゥング(ユストゥス・フォン・ドーナニー)がドイツ帝国の教育は「秩序と規律、服従がすべてだ」と釘を刺す。

ハートゥングの息子フェリックスは実業家の父親に評価されることを目標にしている生徒。父親が奨学制度で入学を許されている労働者階級の子ヨストを胡散臭く思っていることから、何時もいじめと濡れ義務を着せて退学させようと画策する。そんな空気を察知したコッホ先生は、生徒たちにサッカーを教え、もう一つの’規律と服従’であるフェアープレイと平等のスピリットを教えていく。だが、仮想敵国が発祥のサッカーに対して、反対する運動が校内にも、町にも広がり始めた。

ヨスト(中央)を守ることが出来ず退学処分の決定を伝えなければならなくなったコッホ先生だが。©2011 DEUTSCHFILM / CUCKOO CLOCK ENTERTAINMENT / SENATOR FILM PRODUKTION
ヨスト(中央)を守ることが出来ず退学処分の決定を伝えなければならなくなったコッホ先生だが。©2011 DEUTSCHFILM / CUCKOO CLOCK ENTERTAINMENT / SENATOR FILM PRODUKTION

実話をもとにした映画だが、ドイツの哲学教授だったコンラート・コッホをイギリスからの留学帰りにするなど設定や物語のエピソードなどはコッホの教育スピリットが分かりやすいように脚色されているようだ。それでも、愛と自由と平等を求める人間の心には、人間を型にはめるような規律と服従を最優先する教育にそぐわない。そのスピリットが、サッカーをとおして伝えたかったコッホのメッセージなのだろう。教育は教師だけでは変えられない。自由と成長を求める生徒たちの多彩な賜物が一つになる心がなければ。人間を差別しない愛と自由は、必ず何かを得させ、育ててくれる。「諦めるな!」と。  【遠山清一】

監督:セバスチャン・グロブラー 2011年/ドイツ/114分/原題:Der ganz grose Traum 配給:ギャガ 2012年9月15日(土)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国順次公開

公式サイト:http://kakumei.gaga.ne.jp