Movie「ある海辺の詩人 -小さなヴェニスで-」――異国に暮らす心寂しさを詩情と絵画的美で詩う
イタリア・ヴェニス(ヴェネツィア)に近い古い漁師町キオッジャ。その町に30年前に移民してきた60代のスロヴァキア人漁師べーピ(ラデ・シェルベッジア)。この町のオステリア(居酒屋)に派遣されてきたばかりの中国人でシングルマザーのシュン・リー(チャオ・タオ)。それぞれ家族の家族のことで心に重荷を抱えながら、異国の町に溶け込めない二人。その心寂しいさも、水面に浮かぶ小さな灯明の温もりが、つかの間のいやしと安らぎを覚えさせてくれる。
ローマにある中国人の縫製工場。借金返済のためにまだ少年の一人息子を故郷に残して働くシュン・リー。春秋戦国時代の政治家で詩人・屈原(くつげん)の詩が好きで、’屈原の祭り’に流す赤い小さな灯明をバスタブに浮かべては故郷を偲び、寂しさを紛らわす。
ある日、シュン・リーに、’小さなヴェニス’ともいわれる漁師町キオッジャに転勤するよう命じられる。キオッジャに着くと縫製工場ではなく、工場の経営者が年寄りの女主人から買った’パラディーゾ(天国)’という名のオステリアで、給仕や客たちの溜まっているツケの取り立てまでやらされる。
店によくやって来るのは、父親世代の漁師たちが多い。酔うと韻を踏んだ話し方をするので’詩人’とあだ名されているべーピは、コーヒーにプレーンを入れる。赤ワインとオレンジジュースを半々に割る’極楽コンビ’を注文する常連客もいる。それぞれが自分好みの飲み方を持っていて、レシピにない注文に戸惑うシュン・リーをからかいながらも優しく教え、打ち解けていくように見える。
屈原の詩を愛唱するシュン・リーに、どこか似たような寂しさと空気を感じさせられたベーピ。店を知事る時間まで、詩のことや家族のことを話すようになり打ち解けていく二人。旬里の休みの日に、潟に作った仕事小屋に案内するベーピ。その屈託のない自然な親しい雰囲気は、やがて小さな漁師町の噂になっていく。古くからの漁師仲間は、町に増えてきた中国人たちを’中国マフィア’と一括りにし、彼らと親しくなることを毛嫌いし、ベーピにも強く注意する。中国人の経営者らも、町の中で目立ちトラブルになるのではと懸念し、ベーピとの付き合いをやめないと、今までの返済を取り消しにするとまで、シュン・リーにきつく言い渡す。
詩をとおして互いに琴線に触れ、心の奥にしまっておいた家族との重荷を語り合っていただけのピュアな関係の二人。思わぬ曲解から、二人のささやかな安らぎが壊されていく。
2000年代になり東欧やアフリカ、アジアなどからのイタリアへの移民が急増した。この作品では、縫製工場で働く中国人女性たちは借金の返済のため、わずかな賃金で働かされている様子を窺わせている。劇映画は本作が初めてのアンドレア・セグレ監督は、そうした現代の移民たちの社会的状況を丹念に調査し、描写可能なレベルで厳しい現実と心の隙間を物語化していく。観光地ではなく、古い漁師町の保守的な風土に立てば、二人はやはり異邦人なのだ。
そうした現実にも、心のいやしと安らぎがどれほど必要か。横山大観が描いた「屈原」で日本人にも馴染みのある詩人を愛するシュン・リーは、ある意味、中国人としての心の故郷・アイデンティティを表現しているのかもしれない。
セグレ監督は、その厳しさと寂寥感をドキュメンタリー的な説明を避けている。人それぞれに、心の中に宿っている歌心ともいえる感性。アックア・アルタ(満潮による異常水位現象)のどうしようもない招かざるものの侵入。シュン・リーの心に見えているヴェネツィアの潟の静けさや遠くに望む雪を頂いた山並み。潟の水面の上に建つベーピの心の拠り所でもある仕事小屋。そうしたキオッジャの情景を、ドキュメントとして映し出す。観光のために作り出したものではなく、そこに生き、生活する者のように、詩的で絵画的な演出が心のスクリーンにいつまでも残る。 【遠山清一】
監督・脚本:アンドレア・セグレ 2011年/イタリア=フランス/98分/映倫:G/原題:Io sono Li 配給:アルシネテラン 2013年3月16日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー。
公式サイト:http://www.alcine-terran.com/umibenoshijin/
2011年ヴェネチア国際映画祭FEDIC特別賞受賞、2012年イタリア・アカデミー賞(ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞)主演女優賞受賞作品