フィリッポとジュリエッタに、アフリカ大陸のどこから来たかを説明するサラ(中央)。 ©2011 CATTLEYA SRL・BABE FILMS SAS・FRANCE 2 CINEMA
フィリッポとジュリエッタに、アフリカ大陸のどこから来たかを説明するサラ(中央)。 ©2011 CATTLEYA SRL・BABE FILMS SAS・FRANCE 2 CINEMA

現代の問題をそこに生きる者の問題としてリアルに描き普遍的なものへと捉えたイタリア・ネオリアリズムの作家魂に触れたような感覚が心の琴線に触れる。

例えばピエトロ・ジェルミ監督の「鉄道員」のように、日常の仕事と生活を危ぶませる情況を孫の視線から身近な出来事へと見つめていくような感性と感動を覚えさせられる。本作では、「鉄道員」の愛らしいサンドロ少年よりは青年の目で祖父の漁師堅気を支える人間としての良心の気高さが描かれている。
アフリカに近い南イタリアの島に押し寄せる難民(移民)問題を発端に自身では捨てきれない人間の温かさが、地中海の輝く太陽と碧い海の透明感をもって映し出す映像美。それは、どこまでも深く心のスクリーンに残る。

アフリカ大陸のチュニジア、リビアに近いペラージェ諸島のリノーサ島。2年前に海で父親を亡くしたフィリッポ(フィリッポ・プチッロ)は、昔からの漁師堅気の祖父エルネスト(ミンモ・クティッキオ)と漁に出ている。未熟ながらも一人前に扱ってくれる祖父を尊敬し、慕っている。だが、母親のジュリエッタ(ドナテッラ・フィノッキアーロ)はまだ子ども扱いしているのが、フィリッポには不満だ。しかも、ジュリエッタは漁業では暮らし向きが立たないため、漁船を処分してリノーサ島から出ていき、フィリッポと新しい仕事をしてもう一旗あげたいと願っている。だが、フィリッポは亡くなった父親が漁をしていた船を祖父祖父エルネストと同じく手放したくない。

ある日、漁に出ていたエルネストとフィリッポは、アフリカからの不法移民を大勢乗せて漂流している小船を発見した。小船から幾人かがエルネストの漁船に泳いでくる。エルネストはすぐ当局に無線連絡し指示を求めたが、当局は無視するようにとの返答。だがエルネストは、海の男として漂流している者がいれば誰であろうと助ける努力をするのが道義と教えられて生きてきた。エルネストとフィリッポは、船に泳ぎ着いた数人の男たちと母子を船に引き上げて帰港。だが、倉庫にかくまっていた妊婦のサラ(ティムニット・T)が産気づいたため、ジュリエッタもサラ母子の存在を知った。

バカンスになると本土から地中海の海の碧さに惹かれて多くの観光客が島にやってくる。 ©2011 CATTLEYA SRL・BABE FILMS SAS・FRANCE 2 CINEMA
バカンスになると本土から地中海の海の碧さに惹かれて多くの観光客が島にやってくる。 ©2011 CATTLEYA SRL・BABE FILMS SAS・FRANCE 2 CINEMA

島の新任警察署長は、エルネストが難民を助けたらしい噂を聞き込み、容疑者として漁船を差し押さえてしまう。自宅を民宿にして家計を助けるバカンスシーズンだが、漁船を観光船として宿泊客を楽しませることが出来なくなった。ジュリエッタは、サラが自分と同じように生きるために夫がいるトリノを目指していることを知った。だが、自分がリノーサ島を出るためには、サラ母子を警察に引き渡して差し押さえられている船を返してもらいたい。エルネストは、人を助けたことが法を犯したことになる矛盾と、島の漁師たちまで人を助けないことに同調していく現実に戸惑う。こうした状況に巻き込まれていたフィリッポは、自分なりの決断を実行に移す。

漁業では暮らせなくなり、観光で生きる道を探そうとする島の人たち。それは価値観や人として大切にしてきた倫理観までも変質させていく。そうした人の心の陰りと対比するかのように、地中海の海の美しさを多彩に映し出す演出が印象的だ。そして、サラ役のティムニット自身がアフリカからの不法移民であり、島で育ってきたフィリッポ役のフィリッポ・プチッロとともにクリアレーゼ監督に見いだされ出演している。彼ら自身の存在感が、この物語をリアルに伝え深く問いかけてくる。

監督:エマヌエーレ・クリアレーゼ 2011年/イタリア=フランス/93分/原題:Tettaferma 配給:クレストインターナショナル 2013年4月6日(土)より岩波ホールほか全国順次公開
公式サイト:http://umitotairiku.jp

2011年ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞、2012年米国アカデミー賞外国映画賞イタリア代表作品