映画「さよなら、アドルフ」トーク・イベント――学生たちに“戦犯の子供”が語った戦後
1月11日に公開された映画「さよなら、アドルフ」(ケイト・ショートランド監督)を鑑賞後、戦後処刑された戦争犯罪人(戦犯)として処刑された遺族の子供たちがどのに歩んだのかを知り平和を考えるトークイベントが、15日に東京・白金台の明治学院大学(同大学国際平和研究所主催)で開催された。
イベントでは、岩手県盛岡市に住む駒井修氏が登壇し、’戦犯の子供’として戦没者遺族らからも差別されてきた母親の苦悩とともに、父親が訴追された事件の被害者を英国に訪ねて父親に代わって謝罪の意思を伝えるために労苦しながら和解を求めた半生についても語った。
公開中の映画「さよなら、アドルフ」は、ナチ親衛隊将校を父に持つ14歳の少女ローレが、戦犯となった父と戦犯裁判所に出頭したであろう母親と別れ、幼い妹弟たちを連れて900km離れた北ドイツに暮らす祖母の家まで道程を描いている。旅の途中で親衛隊によるユダヤ人虐殺の事実を知り自らのアイデンティティーが揺り動かされていく思春期の苦悩と自立への意志が繊細の映像表現ととに丁寧に描かれている。
駒井さんの父親・光男さんは、陸軍大尉としてタイの捕虜収容所に配属されていた。そこで捕虜のイギリス軍将校らが密かにラジオを組み立てて日本軍の劣勢を傍受し捕虜仲間らに伝える事件が起きた。この工作を発見した光男さんは、上官の命令に従って自白させるため拷問にかけ、2人が死亡し6人が重傷を負った。敗戦後ただちに光男さんは逮捕され現地での戦犯裁判所で死刑判決を受けて刑死した。
戦犯裁判所にかけられたであろうローレの両親、現地で逮捕され帰国することなく戦犯裁判所で判決を受けた駒井さんの父親。時には、あいまいな審理と証言で拙速に下された判決事例も後に検証されている。だが、映画の主人公ローレも駒井さんも’戦犯の子供’であることを自ら引き受けて歩む覚悟を持ったことでは通じるものがある。
駒井さんの母親は、父親が戦犯で刑死した慙愧からか、生涯父のことは話そうとしなかったという。戦没者遺族会からは’戦犯の家族’として差別され、遺族年金からも外されて生活保護を受けて暮らさざるを得なかった。しかし、成長していく中で母親が隠し続ける事情を知ったが、自身は「就職の面接でも戦犯の子であることは隠さないで生きて来た」。
父親に代わって被害者に謝罪を伝えた旅路
同じ戦争犠牲者でありながら手のひらを反すような世間の偏見と差別を実感する日々。だが、駒井さんが父・光男さんのことを本格的に調べ始めたのは、定年を間近にした2000年ごろから。父の戦犯裁判で通訳を務めた永瀬隆さんと出会い、永瀬さんなりの謝罪活動を知り、父が訴追された事件の被害者E・ロマックス(元陸軍通信中尉)さんと会うための橋渡しも世話してくれた。
父・光男さんのこととB・C級戦犯裁判のことを知る中で、駒井さんは父親に代わって被害者のロマックスさんに直接謝罪の意思を伝えたいと願い続けていた。それが2007年6月30日に実現した。駒井さんを見たロマックスさんの第一声は「親父によく似ている」だったという。それは当時拷問された父・光男さんはじめ日本兵たちの顔を忘れないでいることの裏腹でもあった。自宅の奥の部屋にまで招かれ、2時間ほどの面談をとおして駒井さんと家族が苦労した戦後の歩みや日本人として加害者家族の子供として謝罪の思いを受け止めてくれたロマックスさんにハグされてお別れすることができたという。
だが、現地の新聞には「謝罪は受け入れていない」というロマックスさんのコメントが報じられた。ロマックスさんが言っていた「これはあなたの父親と私の問題だ」という姿勢からなのだろうか。それでもロマックスさんは、11年の3・11大震災の折には駒井さんの安否を心底心配し、他界するまで駒井さんのことを気にかけていた。父親との思い出が薄い駒井さんには、「英国に居る親父のような思いでうれしかった」という。
学生たちの様々な質問に答えながら駒井さんは、責任関係をシビアに判断しようとする現代だが「握手することは効果がある。率直に『すみません』と詫びることから和らいだ気持ちで話し合えるものです」と、一貫して’謝罪と和解’がもたらす心の平和の大切さを語っていた。 【遠山清一】
シネスイッチ銀座にて公開中の映画「さよなら、アドルフ」は、オーストラリア=ドイツ=イギリス合作(ドイツ語、109分)のケイト・ショートランド監督作品。1月18日(土)より大阪・梅田ガーデンシネマ、2014年1月25日(土)より名古屋・名演小劇場ほか全国順次ロードショー。
公式サイト:http://www.sayonara-adolf.com
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