インタビュー:ジャ・ジャンクー監督――映画「罪の手ざわり」に見る抑圧された魂の叫び
2002年の「青の稲妻」以後、すべての作品がカンヌ国際映画祭またはヴェネチア映画祭コンペティッションで上映され、2013年5月に最新作「罪の手ざわり」で第66回カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞した中国のジャ・ジャンクー監督。5月31日の日本での公開を前に、出演した女優チャオ・タオとともに来日し都内で記者会見を行った。監督自身、好きだという武侠映画の趣きを彷彿とさせる演出がおもしろい「罪の手ざわり」は、抑圧された人間の魂が爆発するような’暴力’がテーマ。中国で実際に起きたいくつかの事件をモチーフに4つのエピソードにまとめて描いている。
山西省の炭鉱会社に勤めるダーハイ(チァン・ウー)。公有事業だった炭鉱を、不正に私有会社として入手した汚職と癒着に激怒し、上司や社長らを銃殺する事件を起こす。
妻や家族には出稼ぎを装い、強盗殺人を繰り返しては故郷へ大金を送金するチョウ(ワン・バオチャン)は、重慶市で銀行から出てきた富裕層の夫婦を襲撃する。
湖北省宣昌駅で妻がある男性と逢引していたシャオユー(チャオ・タオ)は、風俗サウナの受付をしている。役人風を吹かせた客2人がやってきて、シャオユーに相手をしろと言い寄る。受付だけが仕事と断ると、侮辱しながら無理やり抱きついてきた。鬱積していた怒りが爆発したシャオユーは、果物ナイフを客に向かって振りかざす。
シャオユーの不倫相手ヨウリャン(チャン・ジャイー)は広東省で縫製工場を経営している。その工場で同僚を怪我させていしまったシャオホイ(ルオ・ランシャン)は、工場を辞めて東莞(トングァン)にある高級ナイトクラブのボーイになった。そこでホステスのリェンロン(リー・モン)と親しくなり、互いに恋の予感を抱き合う2人だが、リェンロンは故郷には自分の幼い子どもがいると告白し、厳しい生活を続けなければならない現実を突きつける。ナイトクラブを辞め、友人がいる工場に再就職したシャオホイだが、仕送りを無心する母親からの電話を受けた後、自分の心の中のなにかが壊れていく。
4つのエピソードは、それぞれに’暴力’が表出している。癒着と汚職という社会的な暴力への怒り、急激な貧富の格差が及ぼす歪みと閉塞感。ジャ・ジャンクー監督は、最初の3つのエピソードが「社会への怒りや人間の尊厳を虐げるものに向かって起きた’暴力’だが、最後の若い世代の自死は、自分に向かって行われた’暴力’を取り上げた。私自身、暴力はなくなってほしいと思うが、人間を理解しようとするうえで、人間の本質でもあるようにも思う」という。
この作品で描かれた出来事は、深くかかわる事件もあるが、そのほかのいくつもの事件とも向き合い、「4つのエピソードと場所にまとめて描いたたとも言えます」とジャ・ジャンクー監督。
共産主義社会の中国で、正面から’暴力’をテーマに取り扱っている作品が、国内で公開されたことに少し驚き、質問すると。「以前に比べて、表現の自由については、ずいぶん理解されるようになってきました。もちろん、なぜこのシーンにクレームがつくのかと考えさせられたり、努力と工夫を重ねなければならない面は多々ある」という。
本作で、ダーハイが炭鉱のある町に着くと、聖母マリアと幼子イエスの絵画を積んだトラックが通りかかり、ダーハイに道を聞くシーンがある。一瞬のシーンだが、生活文化と宗教の何らかのつながりを感じさせられる。ジャ・ジャンクー監督は、「そのシーンだけでなく、(チョウが山道で3人の男を殺害したことを自分の故郷で弔うなど)宗教的な意味合いをもつさまざまなシーンを挿入しています。中国には、信仰的なものが社会的に断絶された面があると感じる。私自身は、特定の宗教を信仰していないが、人間性を守っていくうえで、信仰的なものによって支えられているように思っている」と語っていた。 【遠山清一】
映画「罪の手ざわり」(配給:ビターズエンド、オフィス北野)は、5月31日(土)より東京・渋谷のBunkamuraル・シネマほかで全国順次公開される。
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/tumi/
Facebook:https://www.facebook.com/pages/罪の手ざわり/771682749523010?fref=ts
2014年第66回カンヌ国際映画祭脚本賞受賞、第7回アブダビ映画祭最優秀作品賞受賞、第50回台湾金馬奨最優秀音楽賞(リン・チャイ)・最優秀編集賞受賞、トロント映画批評家協会賞最優秀外国映画賞受賞、フランス映画批評家協会賞最優秀外国映画賞受賞作品。
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