人間の罪は自分では直せません

「なんにもわからなくても教会に行きたかった」

神奈川県小田原市にある小田原荻窪キリスト教会(山田千鶴子伝道師)は一九六二年に創立、半世紀を超える歴史を誇っているが、おそらくはその歴史以上に教会が誇っているのが、そこに通う乙部キミさんの存在だろう。大正六年生まれで、昨年十月の誕生日に百歳を迎えた。みかん栽培が盛んな小田原の農家の嫁として家事を切り盛りする中、様々な困難に遭いながらも、五十年にわたって自分の信仰を守り、礼拝に通い続けてきた。晩秋のとある日曜日、教会を訪れると、十人にも満たない集まりの中で、賛美歌を歌い、聖書のことばに静かに耳を傾ける乙部さんの姿があった。

縁もゆかりもないキリスト教との出会い

乙部さんが三歳違いの夫と結婚したのは、数えで「十九の時」。親に言われるまま、嫌だと言っても聞いてもらえなかった。結婚して程なく子どもも与えられたが、いつの頃からか体に不調を覚え、わけのわからない病に頭を悩ませるようになった。そんな折、兄が教会に通っていることを思い出す。当時は「耶蘇教」と呼ばれ、キリスト教は外国の宗教として毛嫌いされていた時代、乙部さんも兄も当然、キリスト教や教会とは何の縁もなく暮らしていたが、兄はいつの頃からか教会に出入りするようになっていた。

乙部さんの兄は、そのころ所帯も持ち、商売もしていたものの、お酒を飲むことが度を越して好きで、どうしてもやめられずに家族にも親戚にも迷惑をかけていた。商売で稼いでも、お金は家には入れずにみな飲んでしまう。親がいくら説教しても、親戚が叩いても、飲酒はやまなかった。ある日、酔っ払って通りを暴れまわっていた時に、「路傍伝道」に出会う。通りに立って行き交う人に聖書の話や神様のことを語りかける、今ではあまり見られなくなったあの光景である。「当時は駅前などで、提灯をぶら下げて聖書の話をしている人がいました。兄にも兄なりに考えるところがあったのかもしれません」。それから急に教会に通うようになった兄は、信仰を持った途端、人が変わったようにお酒が止んでしまった。「そのことを思い出した私は、それなら自分の病気も治るんじゃないか、病気を治してほしい。そう思って教会に行くようになったんです」

 

止められても教会に通った

初めて行った教会は普通の民家で、みな座敷に座り、膝に聖書を置いて礼拝していた。牧師が前に立って何か聖書の話をしていたようだが、何を言っているのか中身はまるでわからなかった。それでもなぜか引き付けられたのだろう、「何か助けられるような気がして」その後も教会に通った。しかし、農家の嫁は忙しい。家には仏壇、神棚、庭には「お稲荷さん」。毎朝お水ご飯を上げるのは嫁の仕事。お姑さんから言われることはなんでもやるのは当たり前。「昔のお姑さんは王様で、嫁は奴隷みたいなものです」。働きづめに仕事をしても何もくれない、遊びにも行けない。みかんの収穫期ともなれば、手伝いの人が10人、20人と来て、そこに親戚も加わる。「この忙しいのに何で教会に行くんだ」。そう言われるのは当然である。「それでも、教会には行きたかったんです。日曜日にはいつもより早く山に行ってみかんをもいで、やることやって、飛んで出てきました。何しろ教会に来たくてね、わけもわかんなかったんだけど」

 

聖書の言葉に耳を澄ませて

洗礼を受けたときのことをいろいろと聞いたが、話が少し曖昧だったので、インタビューの後に、教会員の台帳を見せていただいた。そこには、氏名、生年月日、住所、出身地、結婚記念日と、ひと通りのことが書き込まれている。「受洗年月日昭和46年10月17日」とある。数えれば乙部さん五十四歳である。初めて教会に行ったのは三十歳の頃であったというのに。二十年以上も洗礼を受けなかったことを不思議に思っていると、その台帳の項目に「キリスト教についての理解」というのがあるのを見つけた。その「家族」の欄には、おそらくは乙部さん自身の手書きで「理解ございます。」と書かれていた。五十四歳といえば、家の切り盛りを自分が中心になってやり、落ち着いてきたくらいの時期であろうか。この頃にお姑さんから家の差配を引き継いだのかもしれない。多少自由にもなり、教会に通い始めて二十年もたって、ようやく洗礼を受けられるようになった、ということでもあったのかと想像する。洗礼を受けた時の話を聞くと、乙部さんは「聖書は人間の罪を教えているけど、確かに自分の罪はなかなか自分では直せませんね」と言っていた。話を聞く間、何回も「なんにもわかんないんだけど」と言っていたのだが。

この日の礼拝では、イエス・キリストが、自分を捕らえに来たローマ兵たちに切りかかろうとする弟子たち向かって言った「剣をもとに収めなさい、剣を取る者はみな剣で滅びます」という言葉から、聖書が語る平和についての説教が語られた。説教者が話し終えると、出席者に発言を促した。この教会では、説教を聞いて感じたことを、それぞれが礼拝の中で話し合うのだという。一番はじに座っていた男性から始めて、順に一人ずつ自分が何を考えたかを述べていく。最前列に座っていた乙部さんにも順番が回ってきた。「百歳の老人が何を(何か)語るのだろうか?」と、不謹慎な興味を持って耳を傾けると、乙部さんは概略次のように述べた。「私には、人との関係で、どうしても上になりたい、勝ちたいと思う自分がいて、時としてそれは口や態度に出てしまい、相手を傷つけてしまうこともある。神様を信じる者は、神様の前にも、人の前にも謙虚でなければいけないのだろう」。ああ、この人は今までこうやって神様への思いを礼拝の中で紡いできたのか。そう思うと、「とにかく教会に来たかった」という言葉の意味が、少し分かるような気がした。

 

80歳を過ぎてから絵手紙を始めた