馬を後編に放つケンタウロス

主人公は、ギリシャ神話上半身は人間の姿で、下半身は馬の胴体と四肢をもつ“ケンタウロス”とあだ名される温和な中年の男性。遊牧民族で騎馬戦に長けた馬の守護神カムバルアタの伝説を幼い息子に話して聞かせるよき父親。時の流れが緩やかなつましい家族の風景だが、牧畜は近代化され、他人を思いやる村が経済力を持つ者が格差を見せつける社会に変貌しつつある。かつて、“馬は人間の翼”ということわざがあるほど大切にされていたが、現代では競馬馬の飼育が多くなり、結婚の祝いなどでは馬が殺されてふるまわれる尊厳のない扱われ方など、自然といのちへの畏敬の念が失われているという。この作品を観ていると、自らを“神”と過信する人間への哀歌が聴こえてくる。

【あらすじ】
標高4,000メートルを超す山々に囲まれた遊牧文化の国キリギス。村人たちから“ケンタウロス”と呼ばれている男(アクタン・アリム・クバト)は、妻マリパ(ザレマ・アサナリヴァ)と5歳になる息子ヌルベルディ(ヌラリー・トゥルサンコジョフ)の3人家族で慎ましく暮らしていた。言葉が話せないマリパとの会話は手話だが、話せるはずのヌルベルディも言葉を発しない。マリパは、もっとヌルベルディに話しかけてほしいとケンタウロスに常々願っている。

村では厩舎から馬が盗まれ、夜通し高原を疾走した果てに放たれる事件が頻繁に起きている。ケンタウロスに妻マリパを紹介した親戚のカラバイ(ボロット・ティンティミショヴ)の牧場から高値で買ったばかりの競走馬が盗まれた。警察官とカラバイは、日ごろから素行の悪いサディル(イリム・カルムラトヴ)の仕業だろうと疑い、厳しく糾弾するがサディルは否定する。

露店が立ち並ぶ大通り。ケンタウロスは、幼馴染のシャラパット(タアライカン・アバゾバ)が売るマクシム(麦の粉末を発酵させた健康飲料)を飲んで帰るのを愉しみにしている。親し気に話す二人を周りの女たちは訝し気に見つめ口さがない話しを交わしている。シャラパットのパートナーは、嫉妬深く評判の良くないサディル。

 カラバイの競走馬が高原でほかの馬の群れといっしょにいたのがみつかった。カラバイは嫌疑が晴れたサディルに謝罪したが、サディルは馬泥棒の見つかっていないことが腹立たしい。サルディは、カラバイと警察官にわなを仕掛けて馬泥棒を誘き寄せようと提案する。カラバイのライバルがすごい競走馬を買ったとうわさを流して、待ち伏せするサルディたち。深夜、馬を盗みに来て捕らえられたのはケンタウロスだった…。

【見どころ・エピソード】
先祖が騎馬遊牧民のキリギス人にとって、馬は自由の象徴であり、馬と人間を結び付け、村人たちを団結させてきた伝説が息づいていた。だが、資本主義の価値観がキリギス暮らしや伝統文化にも強い影響を及ぼしている。イスラム教スンニ派の宗教的影響もキリギスの伝承・民族宗教に覆いかぶさっていく。寡黙で素朴な人柄のケンタウロスは、かつて映画館で映写技師を務めていた。本編では、かつての映画館がいまはモスクになっていて、ケンタウロスが懐かしい作品を映写していて騒動を巻き起こす。厩舎から馬を盗み高原に放つ事件は本作にインスパイヤを与え、かつての映画館がモスクになっている情景も事実を基に描かれている。
監督・主演のアクタン・アリム・クバトは、あるインタビューに「映画の中で資本主義的価値観を体現しているのが、馬を持つ資産家のカラバイです。そしてそれに対抗しようとしているのが主人公です。お金持ちになるのは悪いことではありませんが、同時に自分たちの文化の伝統を守っていくことも重要です。次の世代に引き継がなければなりません。幸福のためには文化の充実は欠かせないと思います。」と応えている。主人公ケンタウロスの心の呻きと叫びは、日本にどのように届くのだろうか。 【遠山清一】

監督・脚本:アクタン・アリム・クバト 2017年/キルギス=フランス=ドイツ=オランダ=日本/キリギス語、ロシア語/89分/原題:Centaur 配給:ビターズ・エンド 2018年3月17日(土)より岩波ホールほか全国順次公開。
公式サイト http://www.bitters.co.jp/uma_hanatsu/
Facebook https://www.facebook.com/umahanatsu/

*AWARD*
第67回ベルリン国際映画祭パノラマ部門国際アートシネマ連盟賞受賞、第90回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート(キルギス代表)作品。