2019年02月10日号 01面

 日本統治下の朝鮮で展開された「3・1独立運動」から100年になる。韓国では記念日の3月1日前から関連の行事が開かれている。同運動の先駆けとなった「2・8独立宣言」は、2月8日、東京で宣布された。これらの運動ではキリスト者、宗教者が中心になった。宗教者に焦点を当てて、3・1独立運動を振り返る特別講演会(明治学院大学キリスト教研究所、 国際平和研究所共催)が1月26日、東京・港区の同大学で開かれ、韓国の一線の研究者らが来日し講演した。同キリスト教研究所の徐正敏(ソ・ジョンミン)氏は「現在日韓関係はよくない状況だが、歴史的に切っても切れない関係。未来のために、もう一度歴史を考えていきたい」と講演会の趣旨を語った。【高橋良知】

 韓国で3・1がブーム

 大韓民国臨時政府が3・1独立運動開始後の4月に、上海で設立されたこともあり、韓国では「政府、メディアで3・1独立運動が紹介され、『ブーム』が起きている」と金興洙(キム・フンス)氏(韓国・牧園大学名誉教授、韓国YMCA全国連盟理事長)は言う。

 3月1日には、韓国キリスト教教会協議会(NCCK)、福音派も協力し、共同礼拝が行われる予定だ。YMCA、YWCAや各NGOが協力した、国民大会も開かれる。

 1月に「2・8宣言」についてのシンポジウムが韓国で開かれたが全体としては、「日韓関係以上に、南北統一を進める機会としての期待が高い」と様子を語った。

 独立運動におけるプロ テスタントの存在

 3・1独立宣言書に署名した民族代表33人は、みな宗教者であり、プロテスタント16人、天道教徒15人、仏教徒2人と、独立運動におけるプロテスタントの位置は大きかった。当時、朝鮮人人口千600万人のうち、土着的な信仰をもつ天道教徒は100万人以上、プロテスタントは23万2千人と推計されているからだ。  講演会では、プロテスタント、天道教それぞれについて講演があり、討論があった。今回はプロテスタントによる文脈を確認し、次回以降で天道教などとの対比やその他の議論を紹介する。

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 プロテスタントについて講演したのは、柳大永(リュ・デヨン)氏(韓国・韓東大学教授)。1907年にリバイバルを経験した朝鮮だったが、「来世志向、非政治的な性向をもち、日本の統治下でも、当初の関心は信仰の内面化と教勢の拡張にとどまり、民族主義的な活動は少数だった」と言う。

 3・1独立運動以前の日本統治は「武断統治期」とされる。憲兵警察制度によって統治し、経済、行政、立法による制限があり、言論・集会・出版・結社の自由がない状態だった。

 無関心から運動へ

 抗日運動の展開は国外からだった。呂運亨(ヨ・ウニョン)は、朝鮮の神学校を出て、南京の金陵大学で学び、17年から上海韓人教会を牧会していた。独立運動への後押しは、第1次世界大戦終結に向かい、18年1月に米国大統領ウッドロウ・ウィルソンが「14か条の原則」で「民族自決」の原則について語ったことだ。19年には、パリ講和会議に出席予定だったウィルソンの友人、チャールズ・クレーンが上海で中国人に向けて、独立を促す講演をした。そこに呂が参加した。上海でまず政党として新韓青年団を立ち上げ教会員らも参加した。呂は朝鮮と、日本在住の留学生へも運動を促した。

 米国の朝鮮人による大韓人国民会では、3人をパリ講和会議に派遣しようとした。この3人はプロテスタントだった。だが「日本領事館の妨害に遭い止められた」。このニュースを日本の留学生が聞き、2・8独立宣言の行動につながった。

 朝鮮では独自に動いていた天道教や学生グループらと協力し「統一戦線」を敷いた。「武断政治のもとでは、集会と結社が禁止されたが、宗教と教育は例外」だった。「宣言書を起草した崔南善(チェ・ナムソン)はキリスト者ではなかったが聖書に親しんでいた。のちに『宣言書の正義、平等、自由、無抵抗主義などはすべてキリスト者から出た』と語っています」

 打撃の大きさ

 「総督府による鎮圧は残酷だった」と柳氏。拘禁、拷問、無差別発砲、各地の教会も襲撃された。提岩里(チェアムリ)では、教会に信徒を閉じ込め、銃撃と放火をするという惨事にいたった。逮捕・起訴者は1万9千525人、うちプロテスタント3千373人、天道教は2千283人、カトリックは55人だった。「プロテスタントの参与の大きさが分かる。起訴された教役者は244人で天道教、仏教の教役者それぞれの倍だった。女性の被起訴者のうち半数以上がキリスト者だった」と指摘した。この打撃でプロテスタント人口は18年の23万人が、19年に21万人に減少した。

 「欧米の宣教師は、植民地支配を歓迎していた」と述べた。「母国が日本と友好関係にあり、政治問題に関わらないよう指示されていた。ただ例外があった。セブランス病院のフランク・スコフィールドは、デモや鎮圧、提岩教会の状況を世界の言論機関に報告した。施設を独立運動家に提供した済昌(チェチャン)病院のスタンリー・マーティンは、死傷者の世話と治療を献身的に行いました」

 プロテスタントが3・1独立運動の主役となった理由として、柳氏は①教育などで、近代的な自我のアイデンティティーを持った、②聖書とキリスト教の価値観により、天皇を含む地上のすべての権威を相対化し、異民族からの解放の希望を読み取った、③全国的な組織があり、集会や会議を通して、民主的な力量、リーダーシップ、共同体意識が育まれたことを挙げた。