目の前の人を生かし 輝かせた生涯 吉持章氏合同葬

 6月14日に肺炎のため83歳で亡くなった吉持章氏(7月7日号で既報)の葬儀、「吉持章名誉理事長 東京キリスト教学園・吉持家合同葬」が、7月24日、東京基督教大学(TCU)チャペルで行われた。日本同盟基督教団理事長、東京キリスト教学園理事長・学園長、日本福音同盟理事長、いのちのことば社理事長など要職を歴任した氏を偲んで、各界から多数が参列した。

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 葬儀は吉持氏の次男で同盟・茨木聖書教会牧師の吉持日輪生(ひわお)氏の司式で行われた。前奏、式辞、賛美に続き、吉持氏の孫で同盟基督・山形恵みキリスト教会牧師の吉持尽主(つくす)氏がルカ15章8〜10節を朗読、TCU神学部長の大和昌平氏が祈祷、吉持氏の女婿で南柏聖書教会牧師の菊池良一氏が略歴紹介。菊池氏は入院時の吉持氏の様子に触れ、「一見豪傑に見えながら繊細で、少年のような人。集中治療室のベッドで、『自分は何もできない人間だから多くの人に支え助けていただいた。自分は本当に幸せ者だ』と繰り返していた」と語った。

 説教はTCU学長の山口陽一氏が「見つけるまで探し続ける人」と題して、失ったドラクマ銀貨10枚を探し続ける女性の箇所から語った。この説教題と聖書箇所は、吉持氏が亡くなる一か月前の5月12日に語った、最後の礼拝説教と同じものである。冒頭で、吉持氏の生涯に触れ、大工見習いからヤクザを志す中でキリストと出会った証し、牧師となってからは、特に3神学校合同による東京キリスト教学園設立と福音派として初の4年制大学設立に果たした功績の大きさを紹介。その上で、吉持氏の最後の説教を敷衍して、「ドラクマはギリシアの銀貨で、労働者の1日分の賃金。この女性はなぜこれほどまでに銀貨を探すのか。それはその貨幣としての客観的な価値ではなく、そこに主観的な価値、その銀貨固有の価値を見出しているから。そしてそれを必死で探しているのは主なる神に他ならない。ひとりの罪人が悔い改めれば、神の御使いたちの間に喜びがある。吉持先生は、失われたドラクマを探す婦人に伝道者としての自分を重ね、罪人の救いを喜ぶ姿に教会の姿を重ねていた。最後まで自分が探されたドラクマだという自覚を持ち続けていた」。

 吉持氏は23歳で当時の日本クリスチャン・カレッジを卒業後、4年間で20人を洗礼に導き、浜松中沢教会で24人、茨木聖書教会で139人、平和台恵教会で54人、館山教会で5人を洗礼に導いた。「先生が生涯で洗礼に導いたのは242人。これらはすべて、失われたものを探し出し、共に喜んだ記録である」。失われたものを探し出す伝道者を50人生み出したいと願い、48人を送り出した。

 その後で吉持氏最後の説教の音源も流された。「私たちはきずだらけのもの。しかしその一つひとつは印であり、忘れられない記念でもある。この町にはあなたを知らない人が満ちている 私たちをあなたの証し人として用いてください」

 式の最後の挨拶で、夫人の吉持節子氏は「吉持は、目の前の人をいかに生かすかをいつも考え、心を砕いていた。自分もそうやって輝かせてもらった。その姿に倣いたい」。東京キリスト教学園理事長の廣瀬薫氏は「先生から受け継いだものは、人を救いに導くことと、献身する若者を育てること。そのモデルや手がかりを残してくれた。その志を受け継ぐ決意を新たにしている」と語った。