7/5紙面:中野雄一郎牧師が聞く この人 この天職 ゲスト 間室伸子さん
2015年07月05日号 4・5面
ゲスト 間室伸子さん 有限会社サニベル取締役、ガーデンセンターさにべる店長
高校1年生の時、日本ホーリネス教団坂戸教会で信仰に導かれ、受洗。高校卒業後三井銀行池袋支店(現三井住友銀行)に7年間勤務し、花生産農家(有)サニベルグリーンハウス代表取締役間室照雄氏(太平洋放送協会監事)と結婚し、川越のぞみ教会に移籍。現在、有限会社サニベル取締役、ガーデンセンターさにべる店長、日本ハンギングバスケット協会本部講師、グリーンアドバイザー園芸ソムリエ、NPO法人フラワーピース副代表理事。2006年、08年に行われた、日中友好「花と緑の交流団」の団長を務め、北京市民とハンギングバスケット作りを通して交流を行い、北京オリンピックのオフィシャル施設を花装飾する。
「ハンギングバスケット」。草花を掛けたり、吊るしたりして「空間に飾る」園芸装飾技法。プランターや鉢植えなど、従来の地面に置くだけのものに対して、空間を飾るこの新しい園芸スタイルは、近年愛好者が広がっており、各地でハンギングバスケット教室が盛んに開かれている。
その講師として年間のべ3千人を指導する間室伸子さんは、2004年「国際バラとガーデニングショウ」のコンテストでハンギングバスケット部門の大賞を受賞、その作品の芸術性は高く評価されている。現在は自分の事業だけでなく、行政とも関わってお花を生かした町づくりに取り組んでいるが、そんな活躍目覚ましい間室さんを、中野牧師が埼玉県吉見町のお店に訪ねた。【髙橋昌彦】
◆取引断った顧客が半年後に倒産◆
中野 名刺を拝見すると「グリーンアドバイザー園芸ソムリエ」「日本ハンギングバスケット協会本部講師」などと書いてありますが、これは一体どういうものですか?
間室 グリーンアドバイザーは、日本家庭園芸普及協会が認定している資格で、園芸相談員や園芸セミナー講師とか、園芸販売店での接客などのスペシャリストということですね。
中野 「本部講師」は?
間室 日本ハンギングバスケット協会(JHBS)の「ハンギングバスケットマスター」が全国に2千人くらいいて街の花飾りの普及や教室の講師などをしているのですが、その教育養成をしたり、各地で行なわれるコンテストの審査員などをするのが「本部講師」です。
中野 本部講師は全国に何人くらいいるんですか。
間室 2人です。私と名古屋にもうひとり。
中野 全国で2人だけですか。それはすごいですね。園芸を始めるようになったきっかけは。もともと好きだったんですか?
間室 あまり興味はなかったです。サラリーマンの家庭に育ちましたから、特別土に親しむということもありませんでしたし。たまたま花の生産農家に嫁いだのが、園芸を始めたきっかけです。
中野 サラリーマン家庭から農家というのは、環境的にもずいぶん変わりましたね。
間室 未知の世界でした。私自身高校卒業後は7年間銀行に勤めていたので、雨が降ったら休みというような、自然と同居しているみたいな環境はなかなか大変でしたね。それでも夫と一緒に日曜礼拝は守りましたから、定休の無い農村で毎日曜日に教会に行くことは目立ちましたし、私たちがクリスチャンであることは狭い農村の中では知らない人はいませんでした。
中野 ご苦労もあったでしょうね。
間室 道ですれ違った人は知らない人でも必ず挨拶をする、とかは心がけましたね。地域の会・イベントなどには極力参加協力するとか、親戚付き合いを大事にするとか。でも、そういうつながりは大切ですよね。
中野 農家のお仕事は苦になりませんでしたか。
間室 もともと体を動かすのは好きだったんです。それに主人が花のことを色々と教えてくれたので楽しく興味がわきました。最初は花の生産だけで、経済的にもなかなか黒字が出なくて大変だったんですけれど、5年目くらいでしょうか、ホームセンターに自社生産の花を卸すようになって。だんだん扱う量が増えていって、黒字が出るようになりました。2年目からは本格的になって、毎年二桁ずつ売上が伸びて行きました。それにつれ私の仕事は注文を取ったり伝票を書いたりする事務作業になってしまいました。
中野 せっかく興味がわいたことでしたのにね。
間室 それで何か「花と緑」に関われることはないかと思いグリーンアドバイザーの資格や、園芸装飾技法であるハンギングバスケットというのもあると知って、マスターの資格を取ったんです。98年頃だと思います。いろんな花を扱っていると、通りがかりの人が花を分けてくれと言って、お客さんが来るようになったんです。それで試しにアンテナショップ的に売店を作って、パートの方にお願いしました。
中野 卸の仕事はずっと順調だったのですか。
間室 年商4億5千万円くらいまでにはなりました。そのための設備投資もずいぶんしましたね。
中野 その卸をすべてやめてしまわれたのですか。
間室 あまり卸の役割が必要とされなくなって来たこともあるのですが、ある取引先のスーパーからの要求がエスカレートしてきましてね。その頃私たちは、自分で生産したものだけでなく、求められればこちらが仕入れて卸すこともしていたんです。それも注文があってから仕入れるのではなく、ある程度売れ筋を見越して、相場を見ながらあらかじめ仕入れるわけです。当然売れないこともありますから、リスクを背負うんです。それまでも長いお付き合いの中でやって来たことですから、お互いに持ちつ持たれつなことはわかっていますが、それがあまりに一方的になってくると、こちらは下請ではなくビジネスのパートナーと思ってやっているのに、相手がそのつもりがないのならもうやらない、と主人がその決断をしたんです。
中野 どれくらいの取引でした?
間室 年間1億円近くありましたね。私としてはそれがなくなったらうちの経営は回らなくなると思って不安だったんですけど。やっぱりその年は千500万円の赤字でした。でも半年後にそのスーパーは倒産したんです。あのまま取引を続けていたら、うちも連鎖倒産したかもしれません。神様の導きでした。
中野 守られましたね。
間室 主人は卸には見切りをつけて、これからは生産直売だけで行こうということにしました。体力のあるうちに方向転換をということです。もちろん今まで取引していただいたところをすぐに無くしたら相手に迷惑がかかりますから、5年ほどかけて移行しましたね。25人ほどいた従業員も半分にしました。
中野 方向転換は順調に行ったのですか。
間室 5年間は連続赤字でした。それでも卸をやめて気が楽になりました。そのころなんですよ、私が「国際バラとガーデニングショウ」で大賞を取ったのは。別に賞をとるのが目的でやっているわけではないですけど、私たちは最高の作品を作りたいという気持ちだけなんです。それが結果として賞になるんです。あの時はもう、製作の途中でどうしたらいいのか分からなくなってしまって。
中野 どんなふうに作るんですか。
間室 80㎝角の枠内に色々な株を寄せ植えするんです。普通バスケットには12株くらい植えますが、コンテストは20から30株くらい植え込みます。もちろん技術が必要です。どれとどれを並べるとどうなるか、考えながらやるのですが、あの時は本当にわけが分からなくなってしまって。祈りましたね。
中野 でもなんとか乗り越えた。
間室 賞は水物ですから。審査のミスもあります。なんでこれが、と思うような作品もありますし、最初から賞狙いで作っているとわかるものもあります。でも私が大賞を取れたのは、神様からのご褒美だと思うんです。あの時は卸から生産直売に事業が移って行った時で、経営的には一番大変な時期だったんです。でも賞を取ったことで、お店でやっていたガーデニング教室も認知されて、生徒さんが集まるようになったんです。教室は、それ以前から経営の一環としてやっていたんですが、10人も集まらなかったですからね。賞を取ったのが2004年ですから、ここ10年くらいなんですよ。
中野 今生徒さんは何人くらいいますか。
間室 お店でやっているガーデニング教室は、月8回で200人くらい集まりますね。教会でも年に2回、ハンギングバスケットの教室をやっています。こちらは実費だけ負担してもらうので、他の教室の半額くらいですね。その他、市民講座など不定期な講座、講習会もありますから、年間約3千人くらいの方々と楽しく花と緑に関わっています。
中野 行政との関わりでもお仕事されているとうかがいましたが。
間室 ここ吉見町では、今年で10回目になりますが、フラワーフェスタのコーディネートを責任者として任されています。これは私の方から提案したのですが、町民参加型なんです。講師が指導をして町民が作った作品で町を飾ろうというものなんですが、県から補助金も出ています。
お隣の鴻巣市はもともと花の産地なんですが、その割には街中に花が無いので、NPO法人フラワーピースの副代表理事として、街の花飾りを市に提案しています。駅前の花壇やハンギングバスケットなどですね。5年前から吉見町と同じような住民参加型の「花まつり」をやっています。
中野 何人くらい参加しますか?
間室 初年度は50人定員ですぐに埋まりました。役所の人はそんなに集まらないって言っていたんですが。次の年から100人、150人と増えて、今年は200人です。そうなると私一人では指導しきれませんから、近隣のマスターさんたちに協力してもらいながらながら行なっています。マスターさんたちは花の生産者であったり、ガーデニング教室を開催したりしていますので、自分のところから教材を仕入てくれます。街の花飾りも自分一人で握りしめないで、NPOのメンバーに振り分け、制作してもらうようにしています。さらに、鴻巣駅・北鴻巣駅・吹上駅前ロータリーをハンギングバスケットで装飾もしています。
中野 作品制作を依頼されることもありますか。
間室 これは、私に直接ではなかったのですが、東京の西洋美術館の前庭の装飾を日本ハンギングバスケット協会が請けたんですね。協会から私に回って来た仕事なんですが、そのためのチームを組むということで、私がリーダーに指名されたんです。この仕事は私の能力を超えているなと思いましたが、断りませんでした。それでチーム全員各自でデザインを考えて来ようということになったんですが、最終的に私のデザインが採用されました。基本的に来た仕事は引き受けるようにして、断らなかった事が良かった。自分を成長させることにもなりました。
中野 自分を追い込む事が出来るのは大事だな。
間室 生徒さんは私が何でも出来ると思っているんです。「先生は技術もあるし、アイデアもたくさん持っているから」って言うんですけど、私はそのためにその都度努力して乗り越えて来たんです。のほほんとしていてはいいものが出来ない。その部分はすごく大きい。だから今でも自分は成長していると思います。コンテストで大賞を取った時より、デザイン的にも技術的にも、確実に進歩していると思います。
中野 課題が人間を成長させるんだね。
間室 ひとつクリアするとまた次のが来る、ていう感じですね。今も鴻巣市から新宿マルシェのデザインをって言われていますし、東京オリンピックへむけてのお台場「おもてなし花壇」のデザイン・植栽、などをJHBS本部講師として担当していますし。
中野 そんなに仕事していたら、信仰を守るのも大変でしょう。
間室 とにかく日曜礼拝は家族で守ってきました。私にしても、教会に行くことは喜びでした。確かに仕事は忙しいですから、教会の奉仕はあまり出来ないのですが。子育てに関して言えば、忙しくて干渉しなさすぎた。細かな事をやってやれなかった。でも知らない間に育ってくれました。女の子4人ですが、長女が大きくなったら、妹たちを連れて自分たちで先に教会に行くようになりました。教会に行くことを強制はしませんでしたが、だれもいやがらなかった。みんな洗礼を受けて、神様につながっています。
中野 夫婦がともに神様を恐れている姿を見せて行くことが大事なのでしょうね。
間室 4人の娘たちには、資格をとりなさいとか、家の仕事を手伝いなさいと言ったことはありませんが、皆グリーンアドバイザーの資格とハンギングバスケットマスターの資格をとり、花と緑に関わる仕事をしています。
中野 花の魅力はどこにあると思いますか。
間室 やっぱり、人を癒しますよね。感動を与えるというか。お客さんの中にも「ここに来るとほっとする」と言って、お店に見に来るだけの方もいらっしゃいますね。それに玄関先に花を飾るとご近所との会話が始まりますよね。コミュニケーションが始まる。うちの教室に来る生徒さんも、ほとんどは口コミです。その作品を見た人が、「これはどこでやってるの」。
中野 花が語るんですね。
間室 うちのガーデニング教室は、それ自体が皆さんのコミニュケーションの場にもなっています。姉妹・親子・お友達・月に一度教室で会えるのを楽しみにしています。そして、植え込みが終わると、皆うれしそうに笑顔になります。疲れていても、皆の笑顔に出会うと疲れもどこかに飛んでいってしまいます。それだけの力を花が持っているのは、それが神様がお創りになったものだからなのでしょう。
最近私、水彩画を習っているのですが、あの花の色は決して絵の具では出せないんですよ。そんな美しい花々を創って下さった神様の素晴らしさを紹介すること、街の花飾りと花と緑の普及で、皆さんを笑顔にすること、それが私の神様から与えられた仕事だと思っています。
中野 まさに天職ですね。
インタビュアー=中野雄一郎
伝道者。マウント・オリーブ・ミニストリーズ代表。ハワイ在住。前JTJ宣教神学校国際学長。著書に『聖書力』『必笑ジョーク202』『天声妻語』『必ず儲かる聖書のビジネス』など。