2015年07月05日号 2面

今から50年前の1965年6月22日、韓国ソウルで、日韓基本条約調印式が行われ、日本と韓国は国交を正常化した。ちょうどその頃、ソウルの病院で一人の日本人女性がガンの手術を受けていた。田内千鶴子、韓国名・ユン・ハクチャ。韓国孤児のオモニ(母)と慕われた人物である◆7歳で、父の赴任先、韓国木浦へ移住した千鶴子は、ボランティアとして働いていた孤児施設「木浦共生園」のユン園長の伴侶となり、韓国の孤児たちを育てた。朝鮮戦争後、ユン園長は行方不明になるも、千鶴子は孤児たちを守り続け、その数は3千人にもなった◆1945年8月15日は日本にとって敗戦の日だが韓国にとっては解放の時だった。当然、被害者である韓国の人々にとって日本人は許せない存在である。その軋轢の中、千鶴子はただ孤児たちを守りたい一心で木浦に留まり、物乞いまでして韓国の孤児の世話を続けた◆3年半の闘病生活の末、千鶴子は1968年10月31日、天に召された。驚くことが起きた。千鶴子の死を悼み、木浦市は初の市民葬を挙行したのだ。その日、木浦の町には、千鶴子の死を悼んで3万人もの韓国の人々が葬列に加わったのである。