9月13日号紙面:=いのちのことば社創立70周年記念特集=福音車−ことば社文書伝道の原点 ●ゴスペルボックス
福音車−ことば社文書伝道の原点 いのちのことば社 70周年記念事業 ●ゴスペルボックス
福音車−ことば社文書伝道の原点
出て行って 福音文書を届ける
「福音車21 ゴスペルボックス」。全国の、主にキリスト教書店を利用するのが困難な地域の教会を訪問して、キリスト教関連商品を届けているこの移動販売車は、2010年いのちのことば社創立60周年の年に、新たな事業として始められた。それを報じたクリスチャン新聞(10年6月27日号)は、見出しに大きく「原点からの出発(たびだち)」を掲げ、当時の会長の言葉として次のように記している。「創業期において、先輩たちは、改造したリヤカーを“福音車”と称して、福音文書を満載し、販売して回りました。これが私たちの原点です」。いのちのことば社の歴史が語られる時、常に登場する「福音車」とは、いかなる理由でその「原点」なのか。70年前の日本の状況と、そこで福音宣教がいかに行われていたのかを探り、現在の「ゴスペルボックス」を見つめたい。
書店が身近にない時代、福音車に活路を見出す
創立者のケネス・マクビーティは、当時を振り返って次のように記している。
ー1950年代初め、東京の至る所でさまざまな伝道活動が起こってきていた。
ある伝道者は、「赤信号」伝道をしていた。渋谷の大きなスクランブル交差点で信号を待っている人に3分間メッセージをするのである。ポケット聖書連盟は、小さな赤い表紙のヨハネ伝を学校や街角で配っていた。ムーディ科学院の「創造の神」の映画は広く、特に学生たちに見られていた。中国から撤退して来た宣教師たちは、大型のシェビィのワゴン車を駅に停めて群集に福音を語った。警察の注意はほとんどなかった。
求道する人々に手渡す福音トラクトを求める畑は色づいていた。しかし、それに間に合うものはわずかしかなかった。そのような時、『二つの道』のトラクトを作る資金が来たのは、まさに天の賜物であった。印刷が出来るとすぐ、宣教師や牧師がそれを求めてやって来た。まもなく他のトラクトも加えられて、1950年の終わりまでに40万部のトラクトが事務所、といっても、中野区の私の家の台所の片隅から出て行った。(『小さな種から いのちのことば社50年の物語』)ー
かつてアーサー・ホーランド氏が行っていたような路傍伝道がーコスチュームこそ違えー当時すでに行われていて(渋谷の交差点はまだスクランブル化されてはいないはずだが)、人々もそれに積極的に反応していたことがうかがわれる。これら文書を求める大勢の群衆の必要に応えるため、「宣教師や牧師がそれを求めてやって来」て、「1950年の終わりまでに40万部のトラクトが事務所」から出て行った。マクビーティが東京・中野に住居兼事務所を構えたのは50年5月。わずか半年ほどの間にこれだけの数のトラクトが、書店などを通さず直接頒布されたことになる。しかし、当然直接販売には限界がある。マクビーティは次のように記す。
ー十五か月の間に、二十八点の本が出版されました。(中略)中には、『天国』と『地獄』というジョン・ライス牧師が書いてアメリカでベストセラーとなった本もありました。新刊ができると、知り合いの宣教師や牧師に連絡をとります。事務所まで取りに来てくれることもありましたが、それでは、ぜんぜん販路は広がりません。流通と販売という難問にぶつかったのです。(『いのちのことばをしっかり握って―戦後文書伝道物語』)ー
当時キリスト教書店は、戦前から続くものも、戦後に生まれたものも、数は限られているとはいえ存在していた。あえて直販を選んだとも考えられるが、やはり始まったばかりの、業界的にはまだそれほどの実績もない、素人集団による小さな出版社としては、それら既存の流通経路を利用することには、困難があったのかもしれない。それでは、その問題をいかに打開するか。続けて次のように記す。
ーダイレクト・メールを打ってみましたが、わずかな効果しかありません。(中略)次に考えたアイデアは、当時農作物を運ぶのに使われていたリヤカーを用いることでした。その上に高さ約百八十センチのボックスを取りつけたのです。後ろを開けて物を出し入れできるようにし、中の三段の書棚に本を並べました。明るいイメージを与えるため、全体を水色に塗り、後ろに、「二つの道」という文字、両横には聖書のことばを書きました。
それに屋根にスピーカーを備えつけて完成です。こうして、私たちは、急ごしらえの「福音車」を持つことになりました。中野駅までは自転車をこいで行くのですが、これはたいへんキツイ作業でした。
さて、駅前に一行が到着すると、まず、妻のオリーブのアコーディオンに合わせて私たち四人で賛美します。そして、湖浜馨さんの通訳で私が短くメッセージを語ります。物めずらしさも手伝って、人々が集まってきます。すると、福音車のドアを開けて本を見せるのです。
「これが『天国』です。こちらが『地獄』です。これはアメリカでベストセラーになった二冊の本です。一冊たったの五十円です。『二つの道』は無料ですから、自由に持って行ってください」
天国と地獄だと、『天国』のほうが売れると思いませんか。ところが、これがどちらも売れたのです。人々の心は、当時、本当に飢え渇いていました。家路に着く頃、あたりはすっかり暗くなっていました。もう全員がクタクタです。けれども心は、福音を伝えたという確かな手ごたえを感じて喜びに満ちていました。(前掲書)ー
当時の文書伝道への意気込み、雰囲気、人々の積極的な反応がうかがわれる。このような状況下で具体的な販路獲得のために生まれたのが「福音車」だった。自ら出かけて行って、福音文書を販売することが文書伝道だった。他の宣教師から請われてその路傍伝道に福音車で同行し、販売することもあった。いのちのことば社の創立は50年10月である。社史の年表にはその同じ月に「福音車(リヤカー付自転車)による図書販売を開始」と記載されている。いのちのことば社の働きは、福音車とともにスタートした。先の文章は、続けて次のように記している。
ーこのように、小さなおぼつかない福音文書販売の始まりでしたー
これが、いのちのことば社の原点である。同書には「結局、他の宣教師たちの要望があって、福音車は3台作られることになった」と書かれているが、それ以上の記録は残っておらず、この「リヤカー付自転車」がいつごろまで使われ続けたのか、はっきりしたところはわからない。しかし上掲の写真で自転車にまたがっている少年は、現在65歳。当時3歳だとすると、この写真は58年ごろに撮影されたことになり、10年前後は現役で使われていたものと思われる。
書店への足が遠のく時代、ゴスペルボックスが生まれた
その後いのちのことば社は、62年の渋谷店から始めて、直営書店ライフセンターの全国展開を開始する。北海道から沖縄まで、80年代にかけて20店舗が生まれることになるが、そのことを振り返ってマクビーティは次のように語っている。「中野での福音車から、神はなんという驚くべき方法でここまで導いてくださったのだろう」(『小さな種から いのちのことば社50年の物語』)。この言葉からは、ライフセンターの活動が福音車の延長線上に捉えられていたことがわかるが、その働きも時を経て退潮傾向を迎えていく。
全国の一般書店の数が減少に転じるのは90年代後半。キリスト教書店全体にもその影響は及び、ライフセンターも、来客数、売上金額の減少から、店舗の整理縮小を行わざるを得なくなる。そのような状況の中、2009年に軽井沢で開催された「いのちのことば社スタッフリトリート(修養会)」では、翌10年の創立60周年にあたり、どのような記念事業を行うか、スタッフ全員でグループ討議がなされていた。そこで一人の職員から出されたアイデアが、福音文書を車に積んで販売する「移動キリスト教書店」であった。「書店が遠くて来られないなら、こちらから出かけていけばいい」。
まさに「福音車」の発想であるが、今回は「リヤカー」ではなく、1千200万円をかけてデリバリーバンを購入し改装。「福音車21 ゴスペルボックス」と名付けられた。
創立60周年の「スタッフリトリート」で奉献式が行われ、9月3日より稼動したゴスペルボックスの現在に至るまでの足跡は、下段の表にあるとおりである。訪問教会数のべ3千183、走行距離約25万キロ。地球を6周してあまりある距離である。
14年7月にはミニゴスペルボックス(オアシス号)も運行を開始。訪問教会数のべ615、走行距離約6万7千キロ。現在は島嶼(とうしょ)部を含めた沖縄を中心に巡回している。
開始当初の訪問教会からは「キリスト教書店には一生行くことはできないと思っていた。夢のようだ」という声が寄せられた。巡回に従事するスタッフからは「全国のキリスト教書店のない地域を回る。地方に行くほど喜ばれる。通販があっても、やはり中身をパラパラ見ることにはかなわない。新刊が少なくても、信仰書そのものに触れる機会があるだけで喜ばれます」「ゴスペルボックスの在庫は限られるが、その中でも欲しかった本がちょうどあったり、こういうテーマの本を求めていた、と喜んでくださる時があったり、その時はうれしい」。これも福音宣教に携わる職員の喜びの声である。
「ゴスペルボックス」は北海道から沖縄まで全国を巡回し、10年間にのべ3000以上の教会を訪ね、地球6周を超える25万キロを走破した。
現在、ゴスペルボックスの巡回は、いのちのことば社「宣教室」の働きとして位置付けられている。社長の岩本氏は次のように語る。
「10年間、この働きを継続できた要素は三つです。聖霊の神様の宣教への情熱と守り。受け入れてくださる教会の理解と協力。一回が十日間にも及ぶ出張に献身の思いを抱き文書伝道の最前線に出て行く職員。この三つです。主を賛美し、皆様、職員に感謝します。
私自身も何度か巡回に行きました。皆様に温かく迎えられ、教会に宿泊させていただいたこともありました。販売や食事の時間の楽しい交わりに幸せを感じました。そして、いつも三つの出会いのために祈ります。“お客様と福音文書”“購入された方と福音文書を渡される方”“福音文書を受け取った方と主イエス様”との出会いです。今後も、この三つの祈りをもってゴスペルボックスは全国を走ります」
移動キリスト教書店2号「ゴスペルボックス70」導入へ
1000万円の必要のため
お祈りとご支援を!
そろそろ 1 台目のゴスペルボックスも、交代の時期が迫っています。そこで創立70周年を機に、2 台目となる「ゴスペルボックス70」(2号)の導入を計画しています。2 台目は、到着後すぐに扉を開ければ、書棚になっている構造にし、準備のための時間とスタッフの労力の削減が可能な構造にします。また、小雨程度ならば駐車場でそのまま開店できる構造にする計画です。
この「ゴスペルボックス70」の導入のための初期費用として、1000 万円の予算(車両費400 万円、改造費600万円)を立て、いのちのことば社創立70周年記念の宣教事業計画の一つとしました。ゴスペルボックスによる文書伝道の働きの継続と推進のために、お祈りとともに、献金によるご支援をいただけたら幸いです。(機関紙「種まき」20年5月号より抜粋、編集)
■献金先口座:郵便振替 00170-8-10387 いのちのことば宣教団 ※備考欄に「70周年ゴスペルボックスのため」とご記入下さい。