【2・11特集】反対すべき偽権威を見極める 本紙2012年2月26日号、2016年11月20号より抜粋

渡辺信夫氏は、著書の中で太平洋戦争終結を「第一の敗戦」、東日本大震災を「第二の敗戦」と呼んでいる。
†  †  †
東日本大震災の被災地を訪問し、「津波の跡を見て、まるで戦場だと直感した」渡辺氏は、第一と第二の敗戦において「死と破壊」の扱われ方に違いがあると注目。「第一の敗戦では、国家によって無造作に死に追いやられ、遺体の多くは、海中や戦場に置き去りにされた。遺族はその悲しみにひたすら耐える場合がほとんど。戦争で愛する者を失った悲しみが経済成長の満足にすり替えられてしまった」
だが、第二の敗戦では悲しみを悲しみでないものにすり替えようとする試みを誰もしていなかったことがせめてもの慰めだった。国家の介在なしに人間の死が人間の死として尊厳を保つ本来の扱われ方に戻った」
だが、原発問題に関しては、「平和利用という美名に惑わされ反対運動の気力が鈍った。原子力利用と平和が矛盾することを見抜く知恵がなかった。第一の敗戦で自分自身のごまかしの不正に気づいていたが、第二の敗戦でも自分自身へのごまかしがあった」と悔い改めた。「第二の敗戦で明らかになったごまかしは、第一の敗戦処理の時のいいかげんさの継続。隣人がいても隣人であることが見えてこない」と渡辺氏。だが「『私が隣人になる』という道があることが分かれば、隣人は見えてくる」と結んだ。(2012・2・26)

渡辺信夫氏

渡辺氏は93歳。戦争中士官として輸送船の護衛をした。ほとんどの船が沈み、人が沈んで行く光景が心に焼き付いていると語り、東日本大震災で津波が押し寄せ、町が破壊される光景が戦時の記憶に重なった。「第一の敗戦は真珠湾攻撃で沸く世相の奥に、すでにあった。第二の敗戦は、反戦運動の積み重ねの中で、原発がどんどん作られて行くことを認めてしまったことに根を持つ。今度は敗戦をそのままにしてはならない」と、“第二の敗戦”の意を語っている。「世界の動向は、人間には抵抗することの権利があるという考えが広まっている。まして神によって創られ、神からこの世を秩序正しく治めることをゆだねられた人たちは、その実践のために奉仕していかなければならない」
「ルターは人に従うよりは神に従うべきであると、キリスト教会で初めて抵抗を打ち出した。以後、カルヴァンは、神の定めに反することは抵抗せねばならないと、積極的にこれを打ち出して今日に至っている。これを明確にさせていくことが、日本の中で信仰を持って生きる人間の務めだ」
「これから私たちはどういうふうに抵抗して行くか、皆が力を寄せ集めて、主のみ旨を求め、反対して行くべき偽権威を見極め、それがどんな形を取っているか、明らかにしていかなければならない。神の民に属している者として、いかに抵抗して行くことが、神に仕え、隣人に仕える者としてふさわしいか考えていこう」(2016・11・20)