池明観氏追悼 「常に砕かれた魂」寄稿・飯島信
池明観氏が死去 韓国軍事政権の実態を伝えた 「常に砕かれた魂」寄稿・飯島信
韓国の宗教政治学・哲学者で東京女子大学元教授の池明観(チ・ミョンガン)氏=写真=が1月1日、脳梗塞のためソウル近郊の病院で死去した。97歳だった。1970年代から80年代にかけて、韓国内の民主化勢力と、日本キリスト教協議会(NCC)関係者を中心とした日本の連帯勢力と連携し、「T・K生」の筆名で月刊誌「世界」に「韓国からの通信」を書き続け、韓国の民主化運動を世界に発信、帰国後は韓国金大中政権の対日政策ブレーンとして日本文化開放を進めた。
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「常に砕かれた魂」寄稿・飯島信
慎重に歴史を評価し正義追う
池明観先生と初めてお会いしたのは、1974年2月、西早稲田にある日本キリスト教会館5階にあったCCA(アジアキリスト教協議会)の事務所であった。先生が政治亡命に近い形で来日されてから2年後のことである。
韓国民主化勢力から託された日本市民及びキリスト者らに宛てた6通の声明を持って事務所を訪れると、そこで待っていたのが池明観先生であった。
先生は、すぐに日本語に翻訳し始めた。ソウル大文理学部学生会から「日本の民主的、良心的人々へ」と題する声明を訳しながら、「この手紙、なかなかいいですよ」と呟(つぶや)かれた先生の声は今でも耳に残っている。
これら6通の声明は、「朝日新聞」(74年2月16日朝刊)、「朝日ジャーナル」(3月1日号)、『世界』、「キリスト新聞」などで紹介され、日本に韓国民主化運動を知らせる先駆けとなった。
池先生の働きのかけがえのなさは、言うまでもなく「T・K生」の名で73年から88年にわたり『世界』に連載された「韓国からの通信」である(以下『通信』と略す)。
朴正煕から全斗煥へと続く軍事独裁政権下における学生、知識人、労働者、宗教人、言論人らによる民主化の戦いの実情を日本及び国際社会に知らせ、広く支援を呼びかけたこの『通信』は、後に岩波新書4部作となって刊行されるが、その発行部数は50万に達した。
87年に民主化が達成されてからの働きも目覚ましかった。金大中大統領のブレーンとして韓日共同歴史研究韓国側代表、韓日文化交流政策諮問委員長となり、それまで閉ざされていた韓日文化交流の扉を開いた。
日本での生活は21年に及ぶが、今なお心に残る先生の言葉がある。一つは、在日韓国・朝鮮人に対する民族差別を指し、「これほどの酷い差別は経験したことがない。
アメリカの人種差別よりもっと酷い」と苦渋に満ちた表情で語られたこと、あと一つは、過去の歴史を評価する際、現在の価値観を安易に持ち込むことには慎重でなければならないと言うことであった。
97年に及んだ先生の人生を貫いていたのは、神によって常に砕かれた魂をもって正義を追い求め続けたことであったと、今改めて思うのである。(元韓国問題キリスト者緊急会議実行委員)