「語る」だけでなく「仕え」、「寄り添う」 『もしイエス様が市長だったら』評・池田博
もし、牧師であるあなたが牧会している地域を知り、地域に根差した伝道牧会を目指していたとしたら、また、あなたが、「伝道」は教会で講壇からみ言葉を語り、トラクトを配り、特伝をしていれば事足れりと考えているとしたなら、この本を是非一読していただきたい。きっとあなたの伝道・牧会の姿勢が一変することでしょう。
何よりも私ども、本郷台キリスト教会自身が、2004年と2005年の2年にわたって2度、モフィット氏を招き、研修と、実践を通して身をもって恵みの体験をさせて頂いたからです。
その時、私は一つのみ言葉が(Ⅱ歴代誌7章14節)腹の底に突きささりました。それは「地を癒やす」という事でした。この言葉は、私のそれまでのみ言葉への神学的理解から、実践的・体験的理解へのエポックメーキングになったのです。そして私の伝道牧会の土台、杭(くい)が新しく打ち込まれたのです。
私はそれ以前、開拓伝道期に行き詰まりの中からチリ紙交換を通して、地域に根差した伝道への目が開かれていたのでした。
しかし、この本のタイトル、「もしイエス様が市長だったら」は、イエスが「人」となられたということへの最もふさわしい「あり方」であったと思います。
イエス・キリストがやがて、究極的な主権者となる前に、私たちの生活の場に身を置いてくださる、これがこの本の主題です。
以前、ある市の市長が「すぐやる課」を発足させて日本中にセンセーションを起こしたことがありました。イエス様のご在世時代がまさにそれでありました。
マタイ9章35、36節の姿はまさに 「地を癒やす」姿です。教会は地域に根差し、地域に仕える働きこそが大事な使命です。
宣教は語るだけでなく、仕える事であり、尽くすことです。すぐ出て行くことであり、弱さに寄り添う事であります。この本を一読したら、あなたの牧師としての姿勢、あり方は一変していくことでしょう。信徒は、奉仕の在り方が一変していくことでしょう。
(評・池田博=日本キリスト福音教会連合本郷台キリスト教会アドバイザー牧師)
『もしイエス様が市長だったら』
ボブ・モフィット著、陣内俊訳、「声なき者の友」の輪監訳、
スマイルブックス 2,250円税込、A5判
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