河野 優 石神井福音教会協力教師 前日本同盟基督教団法人事務主事

教会が作成する文書記録 その宣教的意義を考える

教会実務において文書記録の作成・管理は重要な位置を占めるものである。教会において作成される基本的な記録文書としては週報、月報、年報(教会総会資料)、役員会等の議事録などが挙げられるだろう。これらの文書を作成するとき、またそれを用いるとき、その文書の宣教的な意義を覚えることがあるだろうか。
私は所属教団の事務主事時代に様々な教会の週報や月報、年報などを見る機会があった。週報には礼拝式次第、行事予定、活動報告、祈祷課題、説教要旨、牧師のコラムなどが掲載されており、教会毎に特色があり非常に興味深く見たことを覚えている。
ある時、信徒の方がうれしそうに「私はこれ(週報)を聖書に挟んで、毎日のデボーションに用いている」と話してくれたことがあった。その方によると、説教要旨で語られたみことばを繰り返し味わい信仰を整え、教会の宣教活動と牧師の働きや兄弟姉妹を覚えて祈るために用いており、週報が日々の信仰生活にとても役に立っているとのことであった。
月報や年報も同様で豊かに用いられるものである。月報に教会員の証しや週報に掲載しきれない祈祷課題を載せるなどして、教会内の交わりと祈りを深めるために用いていた教会をいくつも見ている。また、ある牧師は年報の意義について「教会の歴史を書き残すと言うことは、教会がどのように宣教と教会形成のために取り組んできたのか、その道を一年ずつ書き記すことによって、現在に至るまでの教会の歴史が見える形で積み重ねられていくことになる」と言い、「総会が終わったら捨ててしまうのではなく、大切にし、1年間身近に置いて祈りの友としてお用いくださるように」と教会に勧めていることを聞いた。


教会が作成する文書記録は信徒の信仰生活と成長を助け、主の御前に健全な教会形成を行うために大いに用いられるものである。それと同時に、教会の文書は後の時代に教会の歩みを客観的に振り返るためにも用いられることを忘れてはならない。一例として戦時下の1942年に作成されたある教会の週報を見てみたい。その式次第には「宮城遙拝」「皇軍将士感謝黙祷」「君が代」「国民儀礼」などがあり、説教題は「皇道精神と基督教」、集会の予告欄には「戦勝祈願慰霊祭」とある。この記録から、天皇崇拝や戦争協力が教会の礼拝に組み込まれていたこと、少なくとも教会として公的に戦争に協力していたことが分かる。
このような記録を見る時、痛みを覚えずにはいられない。当時の教会を単に批判するのではなく、時代も場所も超えて同じキリストをかしらとする教会として、教会が陥っていた危機的な状況と、神と人の前に犯してしまった重大な過ちに対して、自分自身の問題として向き合うことが重要である。私たちもまた弱く脆(もろ)く躓(つまず)きやすいものであることを率直に認め、同じ過ちを繰り返さず、高慢になることなく絶えず謙遜に歩むように整えるものとして用いられるのである。
これに加えて当時の役員会や教会総会の議事録があれば、教会が戦時下の状況においてどのような国家的社会的な要請を受け、応答したのか、その決断に至る過程もさらに細かく顧みることができたであろう。そのため、会議の記録等については成功も失敗も、試練も喜びも、できるだけありのままを率直に記録することが重要である。
教会の文書は信仰の成長と教会形成のために用いられるものであり、後の教会をさらに整えるために用いられるものである。これらは適切に管理されることで「生きた文書記録」として引き継がれて行くことになるため、その管理は極めて重要である。次回は教会の文書管理について、あわせて文書作成時の留意点などを含めて実務的なポイントを紹介したい。