在日韓国・朝鮮人をはじめ、すべての外国人住民と日本人住民との共生社会の実現を教会の宣教課題として取り組む、外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト協連絡協議会(外キ協)は、「第37回外キ協全国協議会」を1月26、27日、神奈川県川崎市川崎区桜本の在日大韓・川崎教会の会場とオンライン併用で開かれた。今年は関東大震災時に起こった朝鮮人大虐殺から100年でもあり、「民族差別撤廃運動の最たる地で」との願いから、ヘイトクライムとの闘いを体験した桜本での開催となった。

桜本で起きたヘイトスピーチデモの実態について説明する崔さん

主題は「ヘイトクライムと闘い、21世紀移民社会の宣教課題を考える」。
初日の発題①では、崔江以子(チェ・カンイヂャ)さん(川崎市ふれあい館館長)が、「川崎市反差別・人権条例と私たち」の題で語った。
最初に、桜本の歴史を振り返った。「私たちの町は京浜工業地帯にあり、植民地支配の戦前戦中、戦後も朝鮮半島から海を渡って来ざるを得なかった人たちが、ここに定住してきた。外国籍人であることを理由に差別の被害を受けてきた」
この川崎市に1973年、社会福祉法人青丘社が誕生。在日二世の支援と日本人との地域市民活動を通し、差別をなくしていく社会を目指す活動が始まった。
80年代には、指紋押捺拒否運動が川崎から始まった。88年には差別のない社会実現のため、公金で川崎市ふれあい館を設置。青丘社が市から受託して運営する。同館の条例には「基本的人権尊重の精神に基づき、差別をなくし、共に生きる地域社会を創造していくため」設置とうたう。「違いは豊かさであると、文化活動を通して子どもに伝え、子どもから大人に伝え、地域が変わっていく。こうして違いを大切にしながら歩んできた」

だが、2013年頃から「朝鮮人は朝鮮に帰れ」と叫ぶヘイトスピーチデモが川崎駅前で繰り返されるようになり、15年秋にはヘイトデモの主催者らが桜本でのデモを予告。タイトルは「川崎から朝鮮人を追い出して日本をきれいにする」だった。「川崎駅前のデモでは、反対の声を上げることができず沈黙と回避しか選択できなかった。だが、15年の時は、『差別にあらがい共に生きることを実践してきた私たちが、あんなデモに沈黙してはいけない』という声が上がった」
11月、桜本をデモが襲った。「町の入口では地域の人たちやデモに反対するカウンターの市民たちが詰めかけ、『差別をやめて共に生きよう』というメッセージを発信した」
翌年1月、2度目のデモが桜本を襲った。この時は、桜本の地域市民が道路に座り込んで、デモの侵入を阻止した。「この2回のデモでダメージを受けた。だが差別を禁止する法律がない。何かできないかということで国に救済を求めた」
3月、参議院法務委員会でヘイトデモの被害を参考人陳述。与党議員の心を動かし、5月24日の「ヘイトスピーチ解消法」成立へとつながった。
さらにこの流れは19年12月の「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」へと結実。「差別に反対するまちづくり条例が全会一致で採択されたのは画期的。市の職員は条例に基づいて現場に立ち、条例に抵触しないかしっかり見守っている。ヘイトクライムは今も続いているが、条例の抑止効果で、私たちの安寧な生活が守られる日々が始まってきている」と結んだ。
その他、外キ協事務局からの基調報告、竹川真理子(信愛塾センター長)、松浦由佳子(アルぺなんみんセンター)、デイビッド・マッキントッシュ(マイノリティ宣教センター共同主事)各氏の発題、宋冨子(そん・ぷじゃ)氏(川崎教会長老)の証しなどがあった。

(2023年02月19日号   01面掲載記事)