今年、30年を迎えた信州夏期宣教講座。7月15日、長野県塩尻市の古民家の会場とオンライン併用で開催された「2024年信州夏期宣教講座エクステンション」(同実行委員会主催)では、山口陽一氏(東京基督教大学教授)が、「信州夏期宣教講座は何をめざしてきたのか?」と題し、この30年を振り返った。

山口陽一氏

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第1回開催は1993年8月30、31日、上田市の霊泉寺温泉中屋旅館で開催された。「28日に前任牧師が召天し、私は29日に日基教団・吾妻教会牧師就任式を迎え、30日に第1回に参加。『戦時下・群馬のキリスト教─「新生命」「群馬教壇」の思想』という発題をしたが、横浜長老教会の登家勝也牧師から柏木義円の三教会同についての見解を質問され、答えられなかったことを覚えている」と振り返る。
始まりは、当時、同盟基督・横浜上野町教会牧師だった結城晋次氏の提案から。「首都圏から様々な伝道と宣教方策が始まっているが、そもそも日本における福音宣教の根本問題は何なのかじっくり考えようと、講演、発題、討論という形で始まった。結城牧師の紹介で登家牧師、四竃更牧師、翌年には渡辺信夫牧師が加わり、福音派と主流派の垣根を超えて有志が集まり、世話人を設け、手弁当でのスタートだった」
山口氏は、同講座で取り組んだ内容を四つ挙げる。第一に、「アジアの視点でヤマトの教会を客観視する」。「戦時下の日本教会の戦争責任を問うところから、『日本の宣教史を再考する』ことを始めた。韓国教会、中国教会から日本の宣教史を点検し、沖縄からヤマトの教会を考える、という順で進んだ。様々な講師から厳しい問いを突き付けられた」
第二に、「研究会ではなく宣教講座をめざして」。「信州の山奥にこもりながら、講座のテーマに関連付け、いろいろな地に出かけた。講座のメンバーが札幌に行ってアイヌのことを学んだり、長崎にキリシタン史を学びに行き、足利で足尾鉱毒事件の今を考え、釜山で韓国教会の信仰に学び、福島で原発問題と向き合う方々の言葉に聴き、横浜・川崎で在日韓国・朝鮮人の痛みと戦いを学んだ」

本紙1993年10月17日号掲載の「第1回信州夏期宣教講座」記事

第三に、「日本の近代史の中の教会史」。「戦後責任を問う場合、一つに偶像問題がある、、、、、

2024年07月28日号 04面掲載記事)