戦後80年となる。世代交代が進み、戦中、揺さぶられた教会の歴史を考える機会が減っているかもしれない。本連載では、日本キリスト教史を専門とする山口氏が戦中の教会を考える上での重要テーマを解説し、次世代のクリスチャンが応答する。(毎月1回掲載します)

①「報国」のキリスト教ーなぜ教会は戦時体制に飲み込まれたのか

山口陽一 東京基督教大学特任教授

国家の戦争に教会が飲み込まれないことはほとんどあり得ない。キリスト教が根づいた国であれば、教会が戦争をリードすることも少なくない。日本の教会は小さいがゆえに戦時体制に飲み込まれない可能性があったかもしれない。しかし、神への従順のゆえに抵抗することはほとんどなく戦時体制に協力し、戦後、それを自覚し悔い改めることも曖昧だった。その原因を、まず「報国」という言葉をめぐって考えてみたい。

「報国」とは、国の恩に報いて国のために尽すことである。近代の日本では、幕藩体制から近代国家への激変期に士族たちが共有した志であった。江戸時代の後期に国学が盛んになり、水戸学が幕末の志士たちに日本という国を意識させた。「報国」は、欧米列強によるアジアでの植民地侵略が繰り広げられる中で熱を帯び、幕末の尊王攘夷運動から明治の富国強兵策を牽引した。

キリスト教においてはもう一つの理由が報国を強く志向させた。幕藩体制下、200年にわたって刷り込まれたキリスト教邪宗観の中心は、伴天連追放令以来のキリスト教国害論であった。近代日本におけるキリスト教の再宣教は、ゼロからのスタートではなくマイナスの克服から始まる。すなわち、キリスト教は「国害」ではなく「報国」の宗教であることの弁証から開始されなければならなかった。キリシタンの殉教は誇るべき信仰の遺産としてではなく、繰り返されてはならない負の遺産として意識されたのである。

幕末の志士からハリストス正教会の最初の司祭となる沢辺琢磨は、1870年4月、旧仙台藩士族に函館に来てハリストス正教に入信するよう書簡で呼びかけた。曰く「国家の恢復を謀らんがためには、人心の帰一を期せざるべからず、人心の帰一は真正の宗教に依らざるべからず、人民にして真正の宗教を信せば、人心の統一を得べく、人心統一せば何事か成らざらん、もしそれ、国家を憂ふるの赤心あらば、速に来函すべし」(傍点著者、以下同じ)。「赤心」とはまごころのことである。

72年3月、横浜に設立された日本人を信徒とする最初のプロテスタント教会は、米国オランダ改革派教会に属したが、あえて歴史的な教派の信条に立たない無教派の国民教会「日本国基督公会」として設立された。背景には46年にロンドンで結成された万国福音同盟会の超教派運動があり、また、宣教師には中国伝道における教派主義の反省があった。しかし、何よりもアメリカの植民地的教会をよしとしない日本人信徒たちの報国の願望があった。教会の設立をリードした篠崎桂之助は公会に宛てた74年の意見書で、教派からの独立が日本においては都合がよいと言う。「我輩今宗派ヨリ独立ナル会ヲ立ルハ主ノ意此ニ在ヤ否ヤヲ疑ハズ 必在ト思フ蓋シ上ハ聖経ニ協ヒ次ニハ国ニ宜シケレバナリ」

76年1月、熊本で「報国」の志を抱く熊本洋学校の学生たち35人が、自ら起草した「奉教趣意書」に署名した。キリスト教に啓発されて喜びにたえない彼らは、この教えを「皇国」に広めようとするが、そのすばらしさを知らず古い考えに凝り固まった人々の多いことは嘆かわしいと言い、「報国の志」を抱く者が決起し生命をかけてキリスト教の正しさを明らかにしようと誓った。「是時ニ当リ苟モ報国ノ志ヲ抱ク者ハ宜ク感発興起シ 生命ヲ塵芥ニ比シ以テ西教ノ公明正大ナルヲ解明スベシ」。

77年3月、札幌農学校の一期生はW・S・クラークが起草した「イエスを信ずる者の契約」に署名し、のちに内村鑑三もこれに加わった。内村は卒業にあたり、新渡戸稲造、宮部金吾と共に「二つのJ」、すなわちジーザスとジャパンに身を捧げることを誓い合った。やがて、欧米文化あるいは教会の伝統や組織ではなく、日本のために聖書のみに立つキリスト教を追求することになる。

キリスト教史家の大内三郎は言う。「明治期のキリスト教徒は『国家』を離れてキリスト教信仰を考えることができなかった。あるいは儒教的訓練と教養のなかで育てられ、武士道を忘れずにはいられなかった」。近代日本のキリスト教、とりわけ士族の青年にリードされたプロテスタント教会は、国害とされたキリシタンとは異なり、報国の志をもって日本の近代化に貢献することをめざしたのである。(つづく)

 

応答 アジアの信仰の友とともに

 小川真 日本同盟基督教団・国立キリスト教会牧師、同教団青年部部長

アジアには今も、かつて日本にされたことを赦せず、苦しむ人が少なくない。2019年、私は教団の青年たちと「韓国スタディツアー」を行い、韓国高神教団の教会を訪れ、韓国の青年と交わった。受け入れ教会の年配の主任牧師は、「私の世代は日本に苦しめられた。今回あなたたちを迎えることも1か月半悩んだ」と語られ、その痛みの大きさを思った。その後、青年同士で交わりと礼拝を捧げた。礼拝後、私たちは日本が韓国に犯した数々の罪への悔い改めを伝えた。すると、それまで表情の硬かった主任牧師が、「赦せない私を赦して欲しい。私は日本人を愛します」と言ってくださった。

その半年後、今度は韓国の青年たちを教団の青年宣教大会に招待した。その際、かつて日本の教会が戦争協力し、アジアの教会に神社参拝を強制したことを悔い改める「平和の祈り」を献げた。その後、韓国の参加者がこう語ってくれた。「この大会で一番記憶に残ったのは平和の祈りだった。過ちを悔い改める日本人を見て、私も一緒に祈りながら、日本を憎んでいたことを悔い改めた」

イエス様の十字架の愛に触れる時、私たちには悔い改めが生まれる。たとえ政治レベルでは交わりが難しくとも、神の家族である私たちは、主にあって新しい交わりをいただくのである。

2025年01月05・12日号 04面掲載記事)