新年メッセージ 酒井信也 能登地震から1年 半島の痛みと福音 良き働きの完成をめざして
「あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。」ピリピ人への手紙 1章6節
「あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。」ピリピ人への手紙 1章6節
2024年の元旦に発生した能登半島地震から一年。大きな被害は能登半島だけでなく、内灘聖書教会のある金沢市近郊でも地面の液状化による家屋の損壊があり、被災した教会員家族約20人が元旦の夜から教会堂での避難生活を始めるという、苦難の年の幕開けとなりました。
翌日からは奥能登の被災地教会の状況確認、全国から続々と寄せられる支援物資の避難所への運搬が始まり、石川県放送伝道協力会を母体として設立された「能登ヘルプ」(能登地震キリスト災害支援会)の働きを通して、広く全国の諸団体・諸教会の皆さまからのご支援をいただき、復興に向けて共に被災者の方々に寄り添うべく支援活動を続けてきました。
やがて避難所から仮設住宅への入居も進み、能登ヘルプの活動は物資支援・作業支援の段階から、地域コミュニティーでの心のケアの支援へと移行する中で、9月に再び同じ地域を豪雨災害が襲ったのです。
地震と豪雨災害によって家を失い、能登を去って故郷を失った方々もおられます。しかしまだ多くの方々が、決して自分の故郷を離れまいと、二度の災害で心折れながらも頑張っておられます。私たちはこの方々の心に寄り添い、永遠の天の御国にこそ、帰るべき真の故郷と希望を見出してほしい、と祈りつつ、活動を続けています。
発災以来、能登ヘルプを通してボランティアに参加してくださる方々の人数が、12月にのべ5千人を超えました。被災地の方々にも、能登ヘルプの黄色いビブスを着たボランティアは毎日見かける姿となり、コンビニに立ち寄ると「ご苦労様!」と声をかけてくださることも。被災された方々の中には、ビブスの「能登地震キリスト災害支援会」の文字を見て、「私も子どものころ教会の日曜学校へ通っていた」と懐かしそうに声をかけてくださる方々がおられます。
戦後間もない1950年代、交通の困難さゆえ、「陸の孤島」と呼ばれた奥能登で、アメリカからやって来た宣教師たちにより福音伝道が進められました。天幕伝道には大勢の人たちが集まり、生涯を能登宣教に捧げたレナード宣教師夫妻(ニュー・トライブス・ミッション)によって輪島聖書教会、門前聖書教会が開拓され、60年代当時の日本家屋の教会の部屋に子どもたちがぎゅうぎゅう詰めに集まっている写真が残っています。
約70年が過ぎた今、能登の人口は当時の三分の一ほどまでに減少。今回の災害で減少にさらに拍車がかかっています。しかし当時から能登は人口流出が多く、若い人は就職や進学のため金沢市などの都市部へ出て行く流れがありました。能登の人々を愛するレナード宣教師は、若い時に能登で福音に触れた方々の受け皿をつくろうと、金沢市周辺での教会開拓を助け励まし、1970年にはご自身の手によって内灘聖書教会の基となった集会が始められました。ご夫妻は2022年、お二人ともに98歳で天に召されるまで、熱心に能登の人たちの救霊のため祈り、伝道し、アメリカへ引退された後も毎年のように来日して、能登でまかれた福音の種が芽を出し、成長し、実を結ぶために労されました。
能登半島地震と豪雨災害を通して国内外の多くの方々の祈りと働きが能登の地に注がれ、この世を愛するキリストの光が闇を照らし、かつて人々の心にまかれた福音の種が芽を出そうとしています。神の無償の愛を届けたいと願う私たちの支援を、能登の方々は喜んで受け取ってくださっています。レナード宣教師夫妻の姿に接していた私は、今回の災害を通し、能登の人たちを愛する主の壮大な救いのご計画の一端を見せられています。(9面で能登地震1周年特集を掲載)
能登地震1周年記念動画を公開予定。詳細は「能登ヘルプ」フェイスブックで
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