映画「杉原千畝 スギハラチウネ」--諜報外交官が決断した人命救済への深謀熟慮
ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害の脅威が吹き荒れた1940年。当時リトアニアのカナウス領事代理として2000枚以上の日本通過ヴィザ(査証)を発給し、6000人を超えるユダヤ人家族の命を救った杉原千畝(1900[明治33]~1986年[昭和61])。彼の半生を国際情勢の分析に高い能力を発揮したインテリジェンス・オフィサー(諜報外交官)として、ドイツ、ソビエト、ポーランド情勢と遠い日本とのタイムラグを計算し、日本と諸国のクリスチャンのネットワークをも考察した深謀熟慮の独断によって人間の命の尊さを貫く姿を描いている。
1955年(昭和30年)、一人のユダヤ人ニシェリ(ミハウジ・ジュラフスキ)が、戦時中にリトアニアの在カナウス領事代理を務めた“センポ・スギハラ”を捜していると外務省を訪ねてきた。だが、応対に出た杉原のかつての上司・関満一朗(滝藤賢一)は「過去にも、現在もそのような人物はいない」と答える。ニシェリが「大勢のユダヤ人にヴィザを発給した人物で、世界中の人が忘れていないのに、外務省は忘れたというのか」と問い返しても答えは同じだ。
時は1930年年代に遡る。満州国外交部の官吏として北満鉄道売買交渉に携わっていた杉原千畝(唐沢寿明)は、ソビエト赤軍に抵抗するロシア人イリーナ(アグニェシュカ・グロホウスカ)らを協力者に抱え、危険な諜報工作活動を進めていた。交渉は破格の値下げを実現させる成功を収めたが、関東軍の強硬作によって心ならずも協力者たちは殺害された。しかも、堪能語学力な交渉能力を発揮した杉原は、ソビエト共産党からペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)を発動され念願のモスクワ大使館駐在を阻まれた。
1939年、ポーランドの北に位置するリトアニア首都のカナウス領事代理に任じられた杉原は、妻・幸子(小雪)と二人の子どもたちとともに赴任した。領事館職員にドイツ系リトアニア人のグッジェ(ツェザリ・ウカシェビィチ)を雇い開設すると、ペシュ(ボリス・シッツ)と名乗る男が、杉原に近づいてきた。ドイツの不穏な動きを懸念する杉原は、ペシュがポーランドのスパイと気づきつつも運転手として雇う。間もなくナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、リトアニアへも大勢のユダヤ難民が難を逃れ、日本への通過ヴィザを求めて領事館前に集まって来る。ドイツ、イタリアとの三国同盟を結ぶ日本の外務省は、ユダヤ人へのヴィザ発給を認めない方針を明確にしている。
領事館前には、日に日にユダヤ難民が増えてくる。ユダヤ人難民を代表してヴィザ発給の交渉を求めるニシェリ。着の身着のままで難を逃れてきたユダヤ難民の家族を見て心を痛める杉原夫妻。だが、本国からカナウス領事館閉鎖と退去命令が下された。そして、杉原は、ポーランド領事代理ヤン・ズバルテンディク(ベナンティ・ノスル)がユダヤ難民に発給した通行許可証の効果に期待して、シベリア経由で日本へ通行できるようヴィザ発給を決断する…。
近年は多国語言語での映画製作が多くみられるが、本作は英語での会話でストーリが展開する。実在した杉原千畝は、ロシア語のほかフランス語、ドイツ語、英語など数か国語の言語を駆使する諜報外交官として活躍していた。白石仁章著『杉原千畝―情報に賭けた外交官』を参考にした本作には、有能な諜報外交官がユダヤ人迫害から救済する対処を執れない苦悩をしっかり描かれている。
一方で、杉原夫妻が、覚悟をもってヴィザ発給を決断した根本動因ともいえる二人のクリスチャンとしての在り方には、まったく触れられていない。19歳のとき、ハルピンの日露協会学校に留学した杉原千畝は、24歳の時に白系ロシア人女性とロシア正教の教会で結婚式を挙げ、後に受洗している。満州国の日本人官吏としてはよほどの決断と思われるが、あえて多くを語らなかったであろうことも理解できる。ロシア人女性からの申し出で離婚に至ったのちに、正教会信徒の幸子夫人と再婚。このクリスチャンの夫妻が、ヒューマニズムな思想のみでなく信仰的な決断もあったことは、杉原幸子著『六千人の命のビザ』のあとがきで杉原千畝が「私に頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く」と語ったことに触れている。杉畑千畝が優秀な諜報外交官でヒューマニストであった真実とともに、苦悩を越えさせた杉原夫妻の祈りと信仰的決断があったことも、本作の背景にあるもう一つの真実として忘却することはできない。 【遠山清一】
監督:チェリン・グラック 2015年/日本/日本語、英語/139分/映倫:G/ 配給:東宝 2015年12月5日(土)よりTOHOシネマズ日劇ほか全国順次公開
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