(C)2015 aureo
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講談社時代の仲間と2004年に再刊した報道写真誌「DAYS JAPAN」編集長を2015年今春に退任し、持病を押していまも発行者兼フリーランスのフォトジャーナリストとして取材活動を続ける広河隆一。大学時代に仲間とフォトジャーナリズムのサークルを起ち上げ、卒業後はイスラエルの農業共同体(キブツ)に入り中東問題に目覚めるなど、その半生をとおしてパレスチナ難民キャンプ、チェリノブイリ、福島原発事故を追っていく。

ヨルダン川西岸にあるパレスチナ自治区で撮影取材する広河隆一。増加するユダヤ人の入植に抗議するパレスチナ人のデモとイスラエル警察の衝突が続いている。イスラエル建国に際し、地図から消されていった村々を記した地図を片手に、67年からパレスチナの取材を始めた。「銃を持って戦うことをアイデンティティにする人もいるが、僕にとっての闘いは記録すこと。人間たちがやって来たこと、あるいはいま壊そうとしているものを」という。

広河にとって忘れられない言葉がある。76年、難民キャンプで息子をイスラエル軍に殺された父親が、遅れてやって来たジャーナリストたちに向かって「なんで今ごろ来たんだ」となじられた。「ジャーナリストがいるところで軍や権力側は海外に証言されて困るようなことはしない。お前たちがいれば息子は殺されなかったんだ」と。広河は、」ジャーナリストが現場に存在することの抑止力をその時初めて教えられた語る。

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チェルノブイリ原発事故は国境を超えてベラルーシにも放射線汚染が広がった。取材当時11歳だったナターシャは、甲状腺がんの早期発見で手術でき、広河も立ち会った。その後もナターシャは結婚し子どもたちにも恵まれた。設立した「チルノブイリ子ども基金」による子どもたちの保養や医薬品援助などの支援と交流はいまも続いている。  (C)2015 aureo

パレスチナ難民キャンプ、チェリノブイリ原発事故とウクライナ、そして福島原発事故と放射能汚染地域…。広河は「人間が尊厳を踏みにじられる場所を“人間の戦場”だと意識するようになった」という。その“人間の戦場”でもっとも非力で真っ先に犠牲になるのは子どもたちだ。広河は1984年に救援団体「パレスチナの子どもの里親運動」を設立し、難民キャンプに「子どもの家」を建設した。91年には「チェリノブイリ子ども基金」を設立し子どもたちの体内放射線量を減少させるための保養施設の建設や運営を支援している。日本でも福島原発事故後の子どもたちの健康維持と回復のための保養センター「沖縄・球美の里」を久米島に設立した。

本作の取材者は、広河に「ジャーナリストの役割を超えているのではないか」と問うと、「人間という大きなアイデンティティのなかに、ジャーナリストというアイデンティティが包まれている。だから、目の前で溺れてる人がいればカメラを置いて助けなくちゃいけない」と答える。“人間の戦場”で犠牲になった大勢の子どもたちの想いが、人間・る広河隆一をフォトジャーナリストと救援運動へと奮い立たせているかのようだ。 【遠山清一】

監督:長谷川三郎 2015年/日本/98分/ドキュメンタリー/制作:Documentary Japan Inc. 配給:東風 2015年12月19日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開。
公式サイト http://www.ningen-no-senjyo.com
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