自死したフジシュンの遺書で”憧れの女生徒”と”親友”として挙げられたサユとユウ (C)重松清/講談社 (C)2015「十字架」製作委員会
自死したフジシュンの遺書で”憧れの女生徒”と”親友”として挙げられたサユとユウ (C)重松清/講談社 (C)2015「十字架」製作委員会

聖書から日本語になった言葉の一つに“十字架”あるいは“十字架を背負う”という表現がよく用いられる。その重荷を下ろそう、忘れようと思っても心に深く刺さった棘は、身体に深く食い込んだ荊冠(けいかん)と鞭打ちの痕のように消えない。イエス・キリストが人間の罪を贖うために背負った十字架を比喩する重い言葉だ。第44回吉川栄治文学賞を受賞した重松 清の同名小説(2009年刊)を原作にした本作は、クラスメイトたちからのいじめを苦にして自殺した少年が書き遺した“怒りと恨み”“ありがとう”“ごめんなさい”のことば。少年の思いを家族や彼に“親友”と呼ばれた者、唐突に誕生日プレゼントを贈られた女生徒、少年のいじめを周囲の者たちはどういう思いで見つめていたのか。少年の自死をとおしてそれぞれの人たちが背負った“十字架”の意味とそれからの人生を物語っている。

【あらすじ】
中学2年の秋。真田祐(ユウ:小出恵介)のクラスメイト藤井俊介(フジシュン:小柴亮太)が自宅庭の柿の木に首を吊って命を絶った。フジシュンは、クラスであるグループからかなりひどいいじめを受けていた。クラスの生徒みんなが知っていた。小学校から知っていたユウは、「やろよ」と声を掛けたい気持ちはあったができないままほかの生徒たち同様何もしなかった。

フジシュンは、「みなさんのいけにえになります」という書き出しで遺書を記していた。いじめグループの中心二人の実名が挙げられ「永遠に許さない」とも書かれていた。そしてユウとテニス部主将の中川小百合(サユ:木村文乃)の名前も挙がっていた。ユウには、「親友になってくれてありがとう」。そしてサユには「迷惑をおかけしてごめんなさい。誕生日おめでとうございます」と感謝の言葉が綴られていた。サユの誕生日は、フジシュンの命日になってしまった。

小学生からの幼なじみではあるが、それほど親しい関係ではなかったユウには、“親友”と書かれていたことに驚き戸惑うばかりだ。同じクラスになったこともないサユは、フジシュンが亡くなった後に彼からの誕生日プレゼントが宅急便で自宅に届き、ショックのあまり体調を崩し学校を数日間休んだ。

中学の卒業式でフジシュンの遺影を頭上に掲げ無言で抗議する父親・晴男 (C)重松清/講談社 (C)2015「十字架」製作委員会
中学の卒業式でフジシュンの遺影を頭上に掲げ無言で抗議する父親・晴男 (C)重松清/講談社 (C)2015「十字架」製作委員会

ユウは、フジシュンの告別式で父親・晴男(永瀬正敏)に「親友ならなんで助けなかった」と激しい怒りの言葉を向けられた。フジシュンの弟・健介(葉山奨之)も同じ目でユウを見つめる。だが、母親・澄子(富田靖子)は、ユウに「仲良くしてくれていたのね。ありがとう」と、ユウの動揺を気遣うようなことばで受け入れる。フジシュンの遺書の内容が、マスコミに漏れ連日マスコミの報道陣が押し寄せてきた。

フジシュンの両親は、息子がいじめに苦しんでいることに気づけず、いのちを護れなかった自責の念で深く傷ついていた。だが、晴男は中学校の卒業式でユウのクラスが退場するとき、会場の花道に無言のまま仁王立ちしフジシュンの遺影を頭上に掲げてクラスメイトたちに対峙した。息子を見殺しにした生徒たちへの怒り、そのことを覆い隠すことに懸命な学校と大人たちへの不信が、「忘れるな!」「赦さないぞ!」とばかりに目を見開いて。

ユウとサユは、同じ高校へ進学した。二人には、フジシュンの自死と遺書が背負っている十字架。互いにその重さを思い遣り、寄り添っていく。ユウは、「この町を出よう。もう重荷を下ろそう」とサユを誘い、東京の大学進学を目指して合格した。東京へ発つ前の日、二人はフジシュンの家へあいさつに行く。フジシュンとの思い出にすがって生きてきた母の澄子が、二人の大学進学を祝福しプレゼントを用意していた。その時、あの日フジシュンから送られてい来た誕生日プレゼントの出来事と苦しみを堪えきれずに話し出す。ユウも自分のこれまで抑えてきた感情を吐き出す。サユとユウに反論し責め立ってる健介。それぞれの行き場のない怒り、苦しみ、そして赦しの糸口を求める思いが顕にされる…。

【見どころ】
原作は、三十代になり家庭を持ったユウがフジシュンの父親から「俊介が死んでから、どんなふうに生きたのか。俊介のことをどんなふうに背負って、大人になったのか。思い出ノートみたいに書いてくれ」との頼みに応える物語。その構成が尊重されているのだろう、ユウ役の三十代の小出恵介が中学生時代から演じている。エキストラの中学生たちとのクラス風景など幾分目立つ小出の風貌だが、一人称の追憶として観ればうなずける演出でもある。子ども時代の出来事なだけではなく、三十代の現在に生きている悩み苦しみなのだ。

やはり原作では、フジシュンが夢見ていた世界旅行の執着地としてストックホルムの「森の墓地」(世界遺産)とその入り口近くに建つ十字架が大きな役割を果たしている。ひとりのキリスト者の読者としては、この原作によって味わうことのできるカタルシスでもある。映画ではその脚色の妙も興味深い。 【遠山清一】

監督・脚本:五十嵐 匠 2015年/日本/122分/ビタサイズ 配給:アイエス・フフィールド 2016年2月6日(土)より有楽町スバル座ほか全国ロードショー。
公式サイト http://www.jyujika.jp
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