映画「風の波紋」--いのちを結び合う里山の暮らし
新潟県越後妻有(えちごつまり:中南部の十日町市と津南町に渡る旧中魚沼郡一帯)地域は、冬の積雪が2メートルを超える豪雪地帯。また、3年に1度、人と広大な里山の自然を舞台にした国際芸術祭「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の開催地としても知られている。昔から住んでいる人々の高齢化と過疎化する集落の現実は重いが、都会からこの里山にIターンで移住してきた人々もいる。廃墟化していく古民家、放置される棚田、身長を超える積雪を屋根からの雪下ろし…。一人では、一家族だけでは生きて行けそうにない里山で、放っておけない村人と自ら始めた暮らしを続けようとするIターン移住者らとの暮らしが、いのちを結び合わせていく。失われつつある日本のコミュニティの原風景が息づいている。
東京で報道写真家の仕事をしていた小暮茂夫さんと孝恵子さん夫妻が、松之山町(現・十日町市)の中立山集落に移住してい来たのは2002年のこと。仕事の関係で稲作の現場を見に来たとき、茅葺き屋根の集落と夕日に映えて黄金色に輝く稲穂の光景い魅せられた。その後、古民家を借り受け、休耕のままの棚田を放っておけず無農薬での稲作を続けている。こだわりからではない。農耕機で耕したが故障が多く手で田植えし、農薬の使い方もよくわからないので無農薬で続けている。田植えは、昔ながらに集落の人たちも手伝ってくれる。機械で耕すなら手を出せないが、手で田植えすなら手助けできると土地の人は言う。
東日本大震災の翌日、越後妻有地区も新潟・長野県境地震(M6.7)の大地震が襲った。小暮さんの古民家も半壊し傾いた。屋根の茅葺きから修復する。傾いた家をジャッキで戻し、床を張り替え、土壁を塗りなおす。到底一人ではできない。大工の棟梁はじめ茅葺き職人、左官仕事などを土地の人たちが集まり修復していく。ここには、いまも“結(ゆい)”の姿が生きつづけている。
津南町で草木染めの染織工房を営んでいる松本英利さんと文子さん夫妻は、1989年に十日町に移住してきた。草木染めは、天然の植物などを素材に染色することの総称。染めから機織りまですべての工程を夫婦で行なっており、日本民藝館展などにも入選している工房だ。長女・季実子さんが成人式を迎える春、桜の小枝で染色した絣糸(かすりいと)で桜の花びらが舞う模様を織り、夫婦で和服を仕立てた。
埼玉から2009年に十日町に移住してきた天野季子さん。大学卒業後はライブ活動をしてきたが、この里山では自然のなかに息づく人々の笑顔と暮らしから聴こえてくるものに、音の創作で応答している。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の拠点施設として「鉢&田島征三 絵本と木の実の美術館」立ち上げスタッフと携わっている。
昔からこの里山に住む人びとは、個人の本名ではなく、それぞれの「家」に付けられた「屋号」で呼び合っている。昔は木羽(こば)屋根葺き職人で知られていた倉重徳次郎さんの屋号は「長作」さん。だが、築170年以上たつ家が、新潟・長野県境地震で壊れかけている。徳次郎さんは、代々受け継いがれてきた「長作」の解体を決意した。
小暮さんの古民家の修復が完成した。棟梁、大工はじめ手助けしてくれた人たちが、「妄想実現 復活木暮亭」と大書してお祝いに集まった。小暮さんは、屋号を「もーぞー屋」と付けた。祝いの宴も興がのり歌合戦になった。里山の厳しくも美しい自然と折り合いをつけながら、笑顔と歌で結ばれていく新しい“結”が撚られていく。効率化と経済性に重きが置かれ何事も速さが求められる現代日本だが、地球の自転に相応しい動き方があってもいいのだろう。この里山での暮らしの記録には、人と人が共に生きる鼓動がゆったりとした風紋のように刻まれている。 【遠山清一】
監督:小林 茂 2015年/日本/99分/ドキュメンタリー/ 配給:東風 2016年3月19日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開。
公式サイト http://kazenohamon.com
Facebook https://www.facebook.com/kazenohamon.movie
*Awards*
2015年:山形国際ドキュメンタリー映画祭2015正式招待作品。日本映画撮影監督協会第24回JSC賞受賞。第10回台湾国際ドキュメンタリー映画祭アジアコンペ部門正式招待作品。