【ANS】「オーハッピーデイ」のヒットで知られ、グラミー賞受賞者のエドウィン・ホーキンスが1月15日、カリフォルニア州プレザントンの自宅で亡くなった、とニューヨークタイムズが報じた。74歳だった。

 死因はすい臓がんであったことを、ホーキンスの広報担当者ビル・カーペンターがニューヨークタイムズに語ったと、ニック・マスロウは http://ew.com/music で報じている。

 彼の歌手としての活動は、1960年代後半に北カリフォルニア州ユースクワイアを始めるよりも前、オークランドでの少年時代に始まる。そこで彼は、家族のメンバーや教会のグループとともに演奏していた。最初のアルバム「主の家に行こう」は、もともと彼らがゴスペルコンテストに参加する資金を集めるために作られたが、その中に収められた18世紀の賛美歌のような「オーハッピーデイ」は、彼らに違う道を切り開いた。

「友達が持っていた小さな2トラックの機械で録音したんだ」「それがヒットするなんて、まるで考えていなかった」と、ホーキンスは2008年にモデストビー紙に語っている。

 ホーキンスがアレンジしたこの曲がヒットしたことで、グループは名前をエドウィン・ホーキンス・シンガーズと変え、曲はビルボードのポップチャートで4位、リズムアンドブルースチャートで2位となった。

 「多分自分たちの音楽は、あのころ聴いていたすべてがブレンドしクロスオーバーしたものだと思う」と、ホーキンスは15年にblackmusic.comに語っている。「家ではあらゆる音楽を聴いて育ったね。母親は熱心なクリスチャンで神様を愛していたし、そのことを自分の生き方で示していた」

「父親はその頃それほど熱心なクリスチャンではなかったけど、善人とは呼べる人だった。もちろん彼からはリズムアンドブルースを聴かされたし、それだけじゃなく子どもの頃にはカントリーの曲なんかもね」

 70年、ホーキンスは「オーハッピーデイ」により、グラミー賞のベストゴスペルパフォーマンス賞を得る。その後も93年に至るまで、彼はさらに3つの賞を、グラミー賞を主催するザ・レコーディング・アカデミーから、受賞することになった。

 エルヴィス・プレスリー、ジョニー・マチス、グレン・キャンベルなどの著名なミュージシャンは、自らのアレンジでこの「オーハッピーデイ」をレコーディングしているし、ジョージ・ハリスンは、自分の曲「マイ・スウィート・ロード」はこの曲から生まれた、と語っている。