2014年03月30日号 4・5面

「異端問題」と言うとき、それは真理の問題だ。聖書の教え、イエス・キリストの福音の本質からはずれて、聖書の福音とは異なる教えによって人々を惑わすのが「異端」。 それに対して「カルト問題」は、教義が正しいか間違っているかということよりも、その教団の運営や活動が不健全な支配体制によってコントロールされているという体質の問題だ。カルト的体質は宗教団体に限らず、自己実現セミナーや経済カルトなど多様な分野にある。現代のキリスト教異端の多くは、その体質がカルト的でもある。その中へ取り込まれてしまったメンバーの人権が抑圧され、人格的な破綻に追い込まれるケースもあるなどの特徴から「破壊的カルト」とも言われる。
ところが近年は、教義や説教の内容が異端的というわけではない、正統的あるいは福音的な教会であるように見受けられるにもかかわらず、破壊的カルトと同様の人権侵害や抑圧的な体質で傷つく被害者が続出する、牧師や教会の「カルト化」とも言うべき現象も頻繁に報告されるようになった。
昨年、日本語訳が出版された『リーダーシップのダークサイド 心の闇をどう克服するか』(いのちのことば社)は、教会指導者に時として起こるスキャンダルの背景に、「成功したいという不健全な衝動に駆られた」心の闇の部分があると指摘する。その視点は、異端・カルト、あるいはカルト化した団体やその指導者を見分け、理解するのにもヒントを与えてくれる。同書から一部を抜粋、紹介する。

リーダーとして成功したいと、ある個人が願う背景に、しばしば何らかの形で人格的機能不全が原動力として働いていることがある。…彼らの野望の多くは、自分自身の機能不全から生じた個人的な欲求と、神の国を拡大したいというある程度利他的な欲求とが、微妙に危険に混じり合っている。しかしクリスチャンの間では、野心は簡単に偽装されるし、霊的な表現の中に隠されてしまうので(大宣教命令を実行して教会を拡大する必要がある)、クリスチャンのリーダーを駆り立てる機能不全は、しばしば手遅れになるまで、気づかれないし、議論もされない。

この問題の核にあるのは、所有することのできないあるもの|すなわち成功|を手に入れたい、所有したいという個人的な野心であり、ひそかに私たちを
蝕む欲望である。「手に入れる」、「成功する」という2つの観念に取りつかれた文化の中で、私たちは生きている。…
こうしたものを手に入れたいという欲望は、聖書が教える教会の概念とは相容れない。キリスト教とすら相容れない。…
リーダーが失脚する前にその芽を摘み取るためには、「どのように生きているか」ではなく、「何を手に入れるか」という観点から成功を計ろうとする現今の考え方にまず挑まなければならない。…
イエスは、天国における成功を「どのように存在するか」という視点から見ているのであって、「何を持っているか」という視点からは見ていない。ましてや「何をしているか」という視点からは決して見ない。

リーダーシップにおいて支配的であるとは、完全な秩序を維持しなければならないと考えているということである。支配的なリーダーシップは、リーダー自身の支配的な性格の結果なので、リーダーはその組織を、支配すべきもう一つの領域と見なす。そのリーダーは組織の業績を、自分の個人的な業績と見なす。支配的リーダーは私生活でも組織でも、極端なまで完璧を求める。支配的リーダーは一般的に、体系化された厳格な計画を決めていて、それを忠実にこなしている。そこには運動やディボーション、スケジュールや家族の日課が含まれ、それが組織の指揮にまで及ぶ。…
自分の人生と環境を支配しようとするすべての試みは究極的に、抑圧された怒りと恨みと反逆が表面化しないための努力なのだ。支配的リーダーは怒りの感情をあまりに深く葬り、またかなり長期間それを否定してきたので、その存在に気づかないことは珍しくない。バランスを取り戻す最初のステップは、自分に支配的リーダーの傾向があるかどうかを確認して、その原因をじっくり考えることである。

自己陶酔的リーダーは、「それぞれ、強烈な出世欲と、大げさな空想と、劣等意識と、外的評価への過剰依存を、さまざまな組み合わせで持っている」。同時にこの自己陶酔的リーダーは、慢性的に自分に自信がなく、自分が達成したことに満足しない。そして、セルフイメージを高めるために他の人を巧みに利用して、その不満足を克服しようとする。それに加えて、自己陶酔的リーダーは組織に対する自分の重要性を極端に誇張してとらえ、自己顕示欲が強く、絶えず他者から、特に部下や上司や所属する組織からの注目と称賛を求めるのである。大きなことを成し遂げたいと願うにもかかわらず、収まることのない野心は、何を成し遂げても、それを喜ぶほどの満足を得ることはない。もう1つの特徴は、彼らの「他者から搾取する点であり、自分の欲望を満たし、自己を顕示するために他者を利用する」点である。…
自己陶酔的リーダーは、かたくなに他者の価値と質を認めるのを拒み、自分の実績と能力を過大評価する傾向がある。他の人の業績や能力を認めることは、自分自身の重要さにとって脅威となり、彼らが部下から得たいと渇望する称賛を失う危険性をもたらす。自己陶酔的リーダーは、自分の目的を達成するために他者を利用する傾向があるので、周囲には、部下の気持ちを理解できない人として知られている。気持ちを理解できないから、自分の目標を無制限に追求することが可能となる。自己陶酔は霊的な僕のリーダーシップとは正反対に思えるが、これは教会と霊的リーダーの間でもよくあることなのである。

『リーダーシップのダークサイド』は第1部「闇の部分を理解する」、第2部「闇の部分を発見する」、第3部「闇の部分を贖う」からなり、聖書と実際のリーダー像から、人間が陥る闇の部分に光を当てている。各章の最後に、要点と「考えてみよう」という問いかけがあり、自己診断に役立つ設問も付されている。