確信持てない判決に苦悩する熊本判事 (C) BOX製作プロジェクト2010
確信持てない判決に苦悩する熊本判事 (C) BOX製作プロジェクト2010

この春、無期懲役刑が確定していた「足利事件」(1990年発生)再審の無罪確定と、「布川事件」(1967年発生)に最高裁が再審への門戸を開いた判断が報道された。ともに初動捜査の不備と自白強要への冤罪が厳しく問われた事件で記憶に新しい。

高橋伴明監督は、映画「BOX 袴田事件・命とは」で初動捜査段階からの予見と自白の信頼性を問いかけている。それは、裁判員制度の中で事件の審理と被告となった人の有罪刑罰の重さや、無罪なのかを判断する立場に置かれる一般市民への問いかけでもあろう。

◇袴田事件とは

1966年(昭和41)6月30日未明に、静岡県清水市(現・静岡市清水区)の味噌製造工場敷地内にある会社役員宅が放火され一家4人(夫婦と子ども2人)の刺殺死体が焼け跡から発見された。いわゆる袴田事件と呼ばれる実際に起きた事件とその裁判の成り行きがこの作品の舞台。その犯人として、明確なアリバイのない元プロボクサーだった袴田 巌容疑者(新井浩文)が、8月18日に逮捕された。取り調べでは一貫して否認していたが、拘留期限の3日前に一転して犯行自白した袴田容疑者。検事調書も自白を認めたまま告訴されたが、冒頭陳述で犯行を否認し無罪を主張した。

この裁判の一審を担当した3人の判事の中の1人が、熊本典道判事(萩原聖人)で裁判長から主任判事に任命され調書を精査することになる。夏の炎天下に毎日平均12時間の取り調べ。時には17時間に及びトイレにも行かせず、数人の刑事らに殴打された形跡のある過酷な取り調べ。パジャマを着ての犯行であるのに、極微量の血痕しかない物的証拠の乏しさ。動機や状況説明があやふやに転かい自白。夜も拘置所に酔っぱらいを拘留し、袴田容疑者の睡眠を妨げる。

初動捜査時から袴田(左)が容疑者として浮かぶ (C) BOX製作プロジェクト2010
初動捜査時から袴田(左)が容疑者として浮かぶ (C) BOX製作プロジェクト2010

熊本判事は、物的証拠に乏しいことや自白の自主性に強い疑念を抱かされる。結局は、45通の自白調書のうち44通を「自白の任意性が認められない」として証拠から除外した。だが、裁判は1年半後に急展開する。新証拠として犯行時の服が味噌の醸成樽から発見されたとして、告訴事由まで変更する検察。公判期間中に一度、味噌樽の仕込みを入れ替えているのにその時には発見されなかった上着、下着、ズボンなどの5点の新証拠。しかもズボンと同じ端切れ生地が、自宅の捜索で発見されたという。告訴前の家宅捜査時には無かったものと言う母親と姉。

それでも、裁判は袴田容疑者の有罪へと向かっていく。熊本判事のみが無罪を主張したが裁判長ともう一人の判事は有罪・死刑の判断をし、多数決で決められた。しかも、有罪・死刑の判決文は、既定に従って「無罪」を主張し続けてきた熊本判事が書かなければならない苦渋。熊本判事は、自白を引き出す取り調べに傾くあまり、警察のずさんな初動捜査が裁判に大きな混乱をもたらしたとの「補足」を判決文の前に朗読することを強く主張して、不本意な死刑判決をまとめた。
そして、熊本判事は、袴田容疑者が無実との心証を判決に導くことができなかった責任を自ら負い、数ヶ月後に裁判官を辞職し、大学講師となる。

◇疑わしき証拠と
◇疑わしき判決…

ところが、熊本元判事の苦悩は辞職してから更に増し加わる。袴田事件の調書に挙げられていた凶器で4人を数十回刺した場合の刃こぼれや脂肪のつき方、逃走経路にある裏木戸を通ることの困難さ、新証拠に挙がった衣服では袴田容疑者には小さすぎて着用できない。上着よりも下着に大量の血痕がでている矛盾などを、丹念に実験し、その実験写真や実地数値などを控訴審担当の弁護士に匿名で提供するなど、袴田容疑者の無実はますます確信になっていく。その経過とともに、無実の心証を抱いていた人間を死刑判決したことの苦悩と罪責感は、ますます心に重くなっていく。「もう、いかんちゃ。。。おれは殺人犯といっしょちゃ。」

刑務所から無罪を主張し続ける袴田 (C) BOX製作プロジェクト2010
刑務所から無罪を主張し続ける袴田 (C) BOX製作プロジェクト2010

当時の警察の取り調べの過酷さ、証拠や自白の矛盾、法務官僚らの感性などを丁寧に織り込まれ描かれる脚本と演出。自らの良心を曲げて、職務として「誤り」の死刑判決を納得しないまま出した苦しみを熊本元判事役の萩原聖人が丹念に演じていく。
一方の袴田容疑者は、ほとんど社長の親せき筋が勤めていた味噌工場で、ただ袴田容疑者だけが「遠州者」(静岡県東部の出身)と呼ばれるよそ者。元プロボクサー崩れで水商売の用心棒まがいをしてきた経歴への偏見。そんな周囲の目や情景も、鋭い眼光と無口な雰囲気で新井浩文が遠州者の根性ある生きる力を醸し出しいる。

死刑囚として拘留されている間に、教誨師のカトリック司祭によって信仰へと導かれ洗礼を受けた袴田被告。自分の子どもにもいつかは自分の無実が明らかにされ「チャンは、きっと帰る」と手紙に書き綴る。だが死刑確定後、長年の拘留と朝ごとに襲われる処刑への恐怖心から重い拘禁反応に罹り、精神にも異常を来す状況に追い込まれていく。

◇人が人を裁く重さ

映画は、熊本元判事が袴田死刑囚の冤罪を晴らし、彼は無実だという心の確証を表明することを決意するまでを描いている。

実際、2007年に熊本元判事は、裁判官として関わった公判の守秘義務を破り、「自分は公判中から袴田容疑者は無罪との心証を持っていた」と公表した。「自分はやっていない」とだけ公判で言い続けた袴田被告。その姿勢に熊本元判事は「裁かれているのは、自分たち裁判官のほうではないかと思った」という当時を回想して取材などに応えている。
裁判員制度が施行され、いま市井の人たちが選定され、人を裁くためにある日突然召集される。扱うのは死刑判決も起こりうる重大事件。短い日数で、証拠物件や警察、検察の調書、弁護の弁論などを基に、有罪か無罪かに留まらず、死刑か有期刑かの量刑まで判断を求められる。

この映画は、人が人を裁くことの重さを、実際の事件を描きながら重く問いかけてくる。いや、本来裁判は、罪人を裁く場所ではなく、被告として告訴された人間は本当にその犯罪を起こした有罪者なのか無罪者なのかを判定するところであるはず。その意識と理解の原点を、改めて想起させられる。

そのような裁判の原点を見据えて、誠実に取り組もうとした一人の裁判官の姿。人は、内なる光を屈折させたまま生きようとしても、語るまいとする自制の強要はとてつもなく大きな苦悩と心労にさいなまれる存在者なのだろうか。この作品を観終わって、そう強く思わされる。 【遠山清一】

高橋伴明監督作品(1時間57分)。脚本:夏井辰徳、高橋伴明。製作:BOX製作プロジェクト、配給:スローラーナー。2010年5月29日より渋谷ユーロスペース、銀座シネパトスにてロードショー、他全国順次公開。

公式サイト http://www.box-hakamadacase.com